父親の限界

父親は通院治療が決定。南田さんは、父親の通院やケアに専念するため、ケアマネの勧めで、母親を初めて1週間のショートステイに預けることに。

母親は、知らない施設で知らない職員に世話されることになり、不安もあったのかもしれない。個室でなく共同部屋だったため、他人の荷物も置いてある。他人の荷物を触ろうとして職員から注意を受けたとき、母親は職員を平手打ちしてしまった。

「自分で支度をしていないので、どれが自分の荷物なのかなんてわかるはずないですよね……。あの頃の母は落ち着いてきていたとはいえ、まだまだ怒っていることが多かったので、職員や他の入居者さんにとって怖い人だと思われたのかもしれません」

母親は、当初予定していた1週間を待たずに施設から追い出され、別のショートステイに移った。1週間が終わり、南田さんが迎えに行くと母親は、「私をこんなところに預けて、お葬式でもやっているのかと思った」と平然と言った。

南田さんは、「わからなくなるとはこういうことなんだ」と思い知り、悲しくなった。

霧の中を歩く老人のモノクロ写真
写真=iStock.com/liebre
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3月に入ると、母親の暴力はすっかり鳴りをひそめた。その代わり、ほとんど寝たきりになってしまう。

一日中眠っていた日の寝具はひどい状態だった。南田さんは汚れて重くなった寝具全てを車で自宅に持ち帰り、お風呂場で下洗いをする。その間、卒倒しそうなほど臭く、洗っても洗っても臭いが取れなかった。

4月には減薬し、少量でも母親の気性は安定してきたが、怒りのスイッチが入った時用の頓服はまだ手放せなかった。

しかし減薬しても、数日経つと薬が体内に蓄積するせいか、やはり眠ってばかりになる。南田さんは、その都度病院に行って、医師から薬の減量の指示を仰いだ。

そんな5月のGWの真只中、母親の顔がひどくむくんでいた。

かかりつけの病院は休みに入っている。休日診療所に行こうにも、眠っているため南田さんと父親の力では全く動かせない。その上、例によって寝具も服も汚れて濡れているため、着替えさせないといけない。

困り果てた南田さんは、救急相談に電話。すると、そのまま救急につないでくれたため、着替えさせられない件を話すと、救急隊員が着替えもやってくれると言われた。

救急隊員たちは、4人がかりで母親を持ち上げ、着替えをし、搬送してくれた。搬送先の病院では様々な検査を受けたが、むくみの原因は分からず、自宅に帰ることに。

「『入院してもいいですよ』と言われましたが、入院したら完全に寝たきりになってしまうと思い、入院してもらったほうが楽なのはわかっていましたが、連れて帰ることにしました。この頃の母は自分でできることはほとんどなく、もう着替えもオムツ交換も私一人ではできなくなり、いつも父と2人がかりでやっていました。この時父はやっと限界を感じたのか、『施設に入れよう』と言ってくれました」