華麗なキャリアはなぜ「ぼろぼろ」になったのか

今でこそ広告業界とは「世界のあり方をデザインし、企む」集団であるとの認識も定着してきたが、製造業など実業優先の時代には、チャラチャラしたギョーカイ扱いをされることも少なくなかった。だが筆者は実際にその「チャラチャラ」が実業の世界を広告という側面からどれだけ支えてきたかを熱く語る。あの時代に輝いていた日本の産業がどうやってモノを売っていたか、既存の市場だけではない新しい市場をどうやって創出してきたかが、ここに綴られている。

パイの中だけで争うのではなくて、新しいパイを企画して焼く。これはゲリラ戦を仕掛けるエネルギーをまだ備えていた日本の姿でもあるのだろう。シュリンクしていくことが既定路線で、縮小や下降のスピードを減速させることだけで精一杯のその後の世代には、もう経験することのできないであろう熱さがそこにはある。

だが、華麗なはずの広告営業マン人生の行き先は、決してハッピーエンドではない。やがて見舞われる、自身のキャリアと家庭生活の途絶。そしてアルコール依存症、自己破産へ。「ぼろぼろ日記」の意味を理解して涙すら滲む。電通の早期退職と同時に熟年離婚した著者が地べたを這いつくばって得た実体験と、今だからこそタイムリーな話題の数々に、ページを繰る手が止まらない。

本を読まない若い世代にどんどん読まれているらしい

谷川嘉浩『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』(ちくまプリマー新書)

「本当にやりたいこと」「将来の夢」「なりたい自分」こんなテンプレに惑わされないために。変化を恐れない勇気、あげます。自分を忘れるほど夢中になれる「なにか」を探すために、スマホを置いて一歩を踏み出そう。

という触れ込みの一冊が、人生のレールを外れる衝動のみつけかた(谷川嘉浩/ちくまプリマー新書)。ちくまプリマー新書なんて地味なところ(失礼)から出ているにもかかわらず、いま若い世代にどんどん読まれているらしい。

著者の谷川嘉浩は90年生まれの気鋭の哲学者。コミックスやアニメ、文学やデザインなど、いまどきのカルチャー語彙をふんだんに引用しながら、「衝動」「熱量」「起動」という言葉を読者へ全力でプレゼンする。