「黒人奴隷が流行」の根拠が示されていない

ロックリー氏は著書の中で、「弥助は(日本の)内陸部に赴くたびに、大騒ぎを引き起こした。地元の名士(戦国大名のことか)のあいだでは、キリスト教徒だろうとなかろうと、権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ。弥助は流行の発信者であり、その草分けでもあった」(p.13)とする。その根拠は一片たりとも示されていない。

一方で筆者の管見の限りにおいて、欧米論壇やメディアでは「弥助=侍」の側面がメインではあるが、とはいえ、訂正がないままでは「日本で黒人奴隷が流行していた」説が拡散し、定説になりかねない。

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「アフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ」根拠が示されていない(※写真はイメージです)

「ブリタニカ国際大百科事典」にも「弥助=侍」説

日本人にとっては一見して「トンデモ」のロックリー氏の学説だが、実は欧米を中心にじわじわ拡散しているのが現状である。

むしろ「拡散している」という事実そのものによってロックリー説の信憑性が高まり、今では「世界の定説」と化しつつあるとさえ言える。日本人の知らないところで恐ろしい事態が進んでいるのだ。

「ブリタニカ国際大百科事典(Encyclopaedia Britannica)」は、1768年初版発行という長い歴史を誇り、検証がしっかりした最も偏っていない百科事典として、学術的に高い評価を受けており、日本でも「知の世界的権威」と扱われている。

ところが、このブリタニカのオンライン版には、ロックリー准教授自身が寄稿した「弥助」の項が存在する。

その項は「一部異論はあるものの、弥助は最初の外国生まれの『侍』として名を遺したと、日本人の歴史学者によって一般的に考えられている」という記述で始まっている。