谷や池を埋めて整地された

太鼓門をくぐると、北西に向かって細長い平坦地が開け、150メートルほど先に天守が見える。そして太鼓門の北側に井戸があるが、なんの変哲もないように見えるこの井戸は、深さが44.2メートルもある。伝えられているのはこういう話だ。

この場所は、加藤喜明が築城工事をはじめた時点では深い谷で、それを埋め立てて平担地を創出したのだが、この井戸は谷に掘られた浅い井戸を、谷を埋めながら残したもの。だからこれほど深いのだ、と。

松山城本丸の井戸(写真=Jyo81/CC-BY-SA-3.0-migrated/Wikimedia Commons

この井戸の場所は天守からは100メートル以上離れているが、じつは、天守が建つ本壇も、かつて谷だった場所で地盤が弱いという説がある。したがって、5重の天守では倒壊する危険性があるので、3重に改築したというのだ。

いずれにせよ、壮大な石垣で囲まれた松山城の本丸は、複数の谷や池を埋めて整地された場所で、必ずしも地盤が堅固ではない、と考えられるのである。

危険箇所があることは1年前からわかっていた

ところで、今回崩落したのは、天守が建つ本壇の東側、再建された艮門うしとらもん東続櫓のすぐ外側の斜面である。

ここは石垣の裾の部分に緊急車両道がとおされているが、昨年7月に大雨の影響で、この車両道の擁壁ようへきが傾いた。このため、応急処置として擁壁を撤去し、そのうえで工事のための準備が進められ、1年を経たこの7月、ようやく復旧工事がはじまった。そのタイミングで、まさに当該箇所が崩落してしまったのである。

それにしても、復旧工事をはじめるまでに、どうして1年もかかったのだろうか。端的にいえば、松山城は国指定史跡である。このため、工事をするためには、いちいち文化庁の許可が必要で、文化庁が指示する発掘調査を行うなど、さまざまな手続きが必要になる。どうしても時間がかかってしまう。

松山城の緊急車両道の場合、昨年9月に市議会で、車両道の復旧工事の補正予算案が可決。11月に、工事に向けた発掘調査を文化庁に申請し、12月中旬に文化庁から発掘調査の許可が下りた。それを受けて今年1月下旬、復旧工事を行う箇所に埋蔵文化財がないかどうかを調べる発掘調査が行われ、2月にその調査結果を市の審議会に報告。

文化庁に工事の申請が行われたのは4月で、5月17日に文化庁から工事の許可が下り、それを22日、松山市が受け取って、ようやく工事がはじめられることになった。

筆者撮影
土砂崩れが起きた現場付近の様子。