日本の高齢者医療はお節介やき
ただ、ゴキブリが這い回っているゴミと弁当がらだらけの屋敷では、自由だった。誰に干渉されることもなく、好きなときに起きて、お腹が空いたら好きな弁当を買いに行って、好きなように生きていた。
そのおばあさんにとって、そういう自由がなくなったことが果たして良かったのか悪かったのか……。私にはわかりません。
ある意味、日本という国はお節介やきだと思います。
たとえば、北欧諸国は介護は充実していますが、高齢者医療は実質的に行われていないと言っても過言ではありません。
つまり、高齢者には、介護は一生懸命やるものの、寝たきりの高齢者の食欲が落ちて、スプーンを口まで持っていっても食べなかったら、その人は生きる意思がなくなったとみなされて、それ以上の処置はしないのです。
アメリカには、すばらしい老年医療があります。食べなくなったら高齢者の心のケアまで用意されていて、何人もの医師や看護師がチームを組んで高齢者を診ることもめずらしくありません。
しかし、これは富裕層に限られます。メディケアなどという高齢者用の公的保険システムがありますが、受けられる医療はかなり貧相で、一般のほとんどの高齢者は、弱ってから長生きすることはできません。
幸せかどうかは、本人にしかわからない
しかし日本では、誰であろうと食べなくなったらまず点滴をします。脱水が改善されたらまた食べるようになることもありますし、食べなくなった原因が肺炎の場合であれば、肺炎に有効な抗生物質を点滴に入れます。
たとえ、その人がお金を持っていようがいまいが、生きられるだけ生きさせる、という医療をやってきたのです。そういう意味では、本人が望むと望まざるとにかかわらず、福祉という名のもとに無理に生かしてきた、という側面もあるわけです。
それが良いか悪いかは、正直言って、私にはわからない。結局、幸せかどうかは、本人にしかわからないのですから。