生存本能は残り「ゴキブリ御殿」でも生きていられる
同じ頃、保健所の要請を受けて、近隣から苦情が出ている高齢者を往診する仕事もしていました。
たとえば「近所のおじいちゃんがいつも徘徊している」とか「一人暮らしの隣のおばあちゃんの家がゴミ屋敷みたいになっている。臭くてしょうがないからどうにかしてくれ」とか、そういう苦情が入ると、その高齢者を訪ねて診断をするわけです。
あるとき、80代女性の家に派遣されたのですが、玄関に入った途端にもう死ぬほど臭くて、床の上をゴキブリだのなんだの気持ち悪いものが、はいずり回っていました。
どうやらその人は毎日、コンビニで弁当を買っているらしく、その食いさしをそのまま床に積んでいるのです。
ひょっとしたら、その残飯を食べているのかもしれない。風呂にも入っていないみたいだから、本人もめちゃくちゃ臭い。人間って、それでも生きていられる。すごいものだなあ、と感心しました。
私なんか、ゴキブリが大嫌いで、家にゴキブリが一匹出ただけでもう逃げまわって、くん煙剤のバルサンをたいて、ビジネスホテルに泊まったことがあるくらい苦手なのですが、その女性はゴキブリなんかどうってことないわけです。
まあ、ゴキブリは病気を媒介しないから気持ちが悪いだけなのですが、ボケると気持ち悪いこともなくなるらしい。
この話を例に出したのは、それほど認知症が進んでも意外に一人暮らしはできるし、生きる意欲というか、生存本能はしっかり残っているということです。
まったく掃除もしなければ風呂も沸かさないという点では面倒くさい家事をする気は毛頭ないのですが、お腹が減ったら、コンビニに行く。別に万引きするわけではなく、ちゃんとお金を払って、コンビニ弁当を買って帰る知恵はある。
それは、生存本能が強く残っている証拠だと思います。
3000人以上の認知症患者で車にひかれた人はゼロ
認知症の症状が進むと、「一人で外出させると車にはねられるかもしれない」と考える家族が多いのですが、あまり心配する必要はないと思います。
私はこれまで3000人以上の認知症の患者さんを診てきましたが、私が診てきた範囲で車にひかれたという患者さんは一人もいません。
認知症の人は、自動車を普通の人以上に怖がります。たぶん危険を避ける動物的な本能だと思うのですが、たとえば殴られたり蹴られたりするようなことも上手に避けます。
また、これは症状が重くなって、だんだん相手のことがわからなくなってきたときによく見られる現象の一つですが、誰にでも敬語を使うようになります。そのほうが喧嘩にならないし、殴られたり蹴られたりする危険がないからでしょう。
私の患者さんの中には、息子に敬語で話すようになって、ボケてしまったのかもしれないと家族に連れてこられた人もいました。
また、元大臣の患者さんは、最初の頃、病院のスタッフがトイレまで連れていってあげたりしたときに「失敬な」と怒っていましたが、症状が重くなるとみんなに敬語を使うようになり、人間関係がよくなったものです。