「アウトサイドイン」と「インサイドアウト」
そして、絶対悲観主義を実践すると、他のメリットもあると気がつきます。
まず、これは実行するのがとても簡単だということ。失敗は想定内なので、必要以上に恐れる必要もなく、仕事に取りかかるまでの時間が短縮されます。大事な案件ほど、つい後回しにしがちですが、絶対悲観主義は「失敗できない」とは考えないので、仕事の立ち上げが早まります。第2は、リスク耐性が高くなること。第3は、実際の失敗に対する耐性も高まること。第4は、顧客志向が徹底され、自然に相手の立場で物事を考えるようになること。最後に第5は、自分特有の能力が見えてくること。絶対悲観主義者は「●●が上手ですね」とホメられても真に受けません。謙虚というよりは、自分の能力を簡単に信用しないのです。しかし、長い期間評価を受けていると「地に足の付いた楽観主義」が生まれてきます。
ビジネスパーソンの中には根拠のない楽観主義の人も散見されます。そういう人は、アクシデントや想定外のことが起きて切羽詰まると、「恐らく××となるだろう」「●●が何とかしてくれるだろう」と土壇場でなぜか都合の良いほうへ逃避しがちです。そうなると仕事の質は低下してしまいます。
僕が仕事をするときの思考様式の分類としているのが「アウトサイドイン」「インサイドアウト」です。
前者は、マーケットなどの現状や今後の見通しなどの情報を知ったうえで、自分の進む道を選択する方法。一方、後者は「ま、これがイイんじゃないの」という直観が先にあって、その後に外部に目を向けるやり方です。いわば手順の違いですが、前者のように相手に合わせてうまくやろうという気持ちが先立つと、思い切った決断ができません。仮に結果がうまくいかなくてもいいと割り切って動くタイプの僕は、まず自分が好きなほう、面白いと思うほうへ動いた後に周囲の反応を見ます。
それは大学での仕事だけでなく、書籍の執筆でも同じです。その時々で読者にウケるテーマを熟知している出版社から「こういう本を作りませんか」とオファーをいただくこともありますが、基本的には丁重にお断りしています。それは、僕の意思と関係なく、出版社側が売ってくるサーブだからです。僕は、まず自分の側から思いっきりサーブを打つべきだと考えています。
当然のことですが、自分の仕事について他社やマーケットがどのように受け止めているか、読者にはどんなニーズがあるのかを知ることは大切です。しかし、アウトサイドに強く重心を置いてしまうと、どうしても相手に合わせて「うまくやろう」という気持ちが先立って、思いっきり打てません。
小説家・ヘミングウェイは「心の底からやりたいと思わないなら、やめておけ」と言っています。今ウケそうなことに合わせるよりも、自分の中にどうしてもやりたいことや、人に言いたいことがあるかどうかが先決です。サービス権だけは手放してはいけません。
画家・ゴッホもこう言っています。「美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ」
例えば、現代の多くの人々が関心を持つDX(デジタル・トランスフォーメーション)やジョブ型雇用、脱酸素といった先端的な事象は、いわば「美しい景色」。でも、僕はそういうテーマを追いかけるのではなく、もっとありふれた景色の中に本質や論理を見つけ出したい。文豪・武者小路実篤の言葉を借りれば「さあ、俺も立ち上がるかな。まあ、もう少し座っていよう」です。自分にとっての機が熟すのを待つ。それから取り組んだほうがアウトプットの質は高まる。だから、座って待つ。これは僕の仕事にとっての最重要な原理原則のひとつです。
人生や仕事は、なるようにしかならないが、なるようにはなる
仕事やプライベートでいろいろな人を見てきて思うのは、人生や仕事は「出会い頭」や「ひょんな縁」「成り行き」の積み重ね、なるようにしかならない、ということです。結局、自分の身の丈、自分の実力の範囲でしか仕事はできない。おのずと限界はある。それでも、なるようにはなる。禅問答のようですが、「なるようにしかならないが、なるようにはなる」と思っています。
僕が何よりも大切にしたい生き方・働き方は、前述したこれまでの人生の中で培ってきた価値基準です。それに忠実に「こういう仕事をしたい」「こういう仕事はしたくない」というものを決めていければと考えています。
それと同時に、何年も先のキャリアプランや戦略・方針を立てるのではなく、その時点の自分がどの方向に行きたいのかという自分の内なる声や感覚にも耳を澄ませていきたいです。
【第3の条件】決して、崖っぷちでもズルをしてはいけない
苦しくなったら「時空間を飛ばす」
崖っぷちで頼りになるのは、じっと「待つ力」。いつか窮地を脱する
人生にはいい時間も悪い時間も平等に訪れます。どんな仕事であれ、誰しもミスを犯してしまうものです。僕もかつて取り返しのつかない失敗をしてお世話になっている方に大迷惑をかけるという痛恨の出来事がありました。
人の真価が出るのはそうしたピンチの場面。当時、大きなショックとダメージを受けた僕は、なんとか汚名返上しようとしましたが、かえってダメージが大きくなる悪循環にはまり、自滅状態に。まったく正しい判断や行動ができなかったのです。そんなとき、ある書籍に出合いました。失敗学の権威である畑村洋太郎さんの『回復力 失敗からの復活』(講談社現代新書)。畑村さんは書いていました。「人間は失敗直後に正しい対応を取ることはできない。エネルギーが戻ってくると自然と困難に立ち向かえるように人間はできている。エネルギーが抜けている状態のときにじたばたするのがいちばんよくない。遠回りのようでも、エネルギーが戻ってくるのをひたすら待つのが最善の策」
崖っぷちで頼りになるのは、じっと「待つ力」。目の前のできることを淡々とやれば、そのうちに時間は必ず過ぎていく。この言葉に救われ、ようやく窮地を脱することができました。その著書にはこんなフレーズもありました。「一時的な退避はよいが、ズルやウソをつくのは絶対にいけない」
ドキッとしました。その大失敗の際、恥ずかしながら保身のためのズルを画策していたのですが、畑村さんの言葉で踏みとどまることができたのです。ある程度の間、まぶたを閉じていれば、時間の経過の中で失敗を冷静に受け止められるようになるのです。
その後、こうしたもともと人に備わっている回復力を引き出すカギは、「脱力力」だと考えるようになりました。
あのチャップリンが残した「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」という名言。ちょっと引いて、自分と自分の状況を俯瞰する。この視点転換が「脱力力」の肝なのかもしれません。
そんな僕が試練を迎えていると感じたときや、心にゆとりがなくなったと感じたときに意識的によくやるのが「時空間を飛ばす」という方法です。
自分よりもっと苦境に立っている、飢餓で苦しんでいる人や戦国時代に生きる人などを頭に浮かべる。すると、自分は切腹するまでには至っていない、と冷静な気持ちがよみがえってきます。
あと、僕の経験上、ツラいときは徹底的に堕ちてみるのもありだと思います。仕事や勉強をいったん放棄して遊びほうける。しっかり息を吐き切る。すると、不思議とやる気も自然と湧いてきて、元の自分に戻っているのです。