社内で愚痴を言うと自分に返ってくる

嫌いな同僚に対する反応は、ちょっとした不快感から完全な敵意までさまざまな形をとる。ゴールマンによれば、第一歩はそれを制御することだ。誰かをうっとうしいとか癇にさわると思ったら、その人物の行動より、むしろそれに対する自分の反応について考えてみるべきだと、彼は言う。自分の行動は自分でコントロールできるのではるかに生産的だ。そのために毎日リラックスできる何かを実践することを、ゴールマンは勧める。「ストレス対処能力が高まり、うっとうしい人間がさほどうっとうしく感じられなくなる」。

不快感を持ちながら仕事をしていても、他の同僚に愚痴をこぼしたいという衝動は抑えなければならない。誰かをウオータークーラーの陰に連れていって「ジェシカにはどこか好きになれないところがあるわ。あなたもそう思わない?」などと言ってはならないのだ。「人間はみな、自分の意見を誰かに追認してもらおうとする傾向を持っているが、その衝動は抑えなければならない」と、サットンは言う。「感情はとても伝染しやすいので、その衝動に流されたらみんなの士気を低下させることになりかねない」。

同僚の愚痴を言うと、自分自身にはね返ってくることがある。職業人としてなっていないという評判が立つかもしれないし、付き合いにくい人間というレッテルを貼られるかもしれない。ストレスを吐き出す必要があるときは、助けになってくれる人々を慎重に選ぼう。理想的なのは社外の人だ。

自分の反応を制御したら、自分はその人物の何が嫌いなのかを考えてみよう。相手が自分と違うのが気に食わないだけなのか。相手が自分の父親を連想させるのか。あのポジションには私がつきたかったのにと相手を妬んでいるのか……等々と自問するのである。

人間は妬みなどの負の感情のせいで、他者について間違った評価を下し、その人を不当に扱ってしまうことがある。「人が自分より成功していたら、われわれはその人を見下す傾向がある」と、サットンは言う。

人間は自分と異なる点を持つ相手に偏見を抱くこともある。

「われわれが世界で一番好きな人間は自分自身だ。人が自分と違っていればいるほど、われわれがその人に対して否定的な感情を持つ可能性は高くなる」。相手の人格的特質ではなく、自分をイライラさせる行動に注目しよう。これは単に嫌いなだけなのか、それとも偏見を持っているのかを見分ける助けになる。「相手は私をイライラさせる行動をとってはいるが、善良な人間だという仮定から出発しよう」と、サットンは言う。相手の何が自分をイライラさせるのかをもっとよく理解することで、その問題には自分にも責任があることがわかるかもしれない。「自分自身が問題の一部であると想定するのは理にかなったことだ」と、サットンは言う。自分にも責任の一端があることを認めよう。そしてパターンを見つけ出そう。「自分の行く先々に必ず嫌いな人間がいるとしたら、それは悪い兆候だ」と、サットンは言い添えている。