住んだことがなくても“祖国”だと信じていた…
出発の直前、ようやくビザが下りた。フィリピンへは父と母も一緒だった。ゴールデンウィーク明けだったこともあり、旅行客は少なく、空港はゆったりとした空気が流れていた。
出国ゲートの職員も、出入国ラッシュのピークを越え、一仕事を終えたという開放感からか、優しく声をかけてくれた。「いいですねー。連休明けに家族旅行ですか」。愛想の良い父は「はい。家内と末の娘を連れて会合なんです」と答えた。母も私もニコニコと相槌を打ちながらゲートを後にした。
フィリピンには3~4日ほど滞在した。帰国便が台湾経由だったこともあり、母が台湾に住む大哥(一番上の兄)に会いに行こうと、急に予定を変更した。当時、私の兄は、日本企業の台湾支社を任されていた。
昼過ぎの便で、台北に降り立った。飛行機を降りると生暖かい空気と人々が話すソフトな中国語が私たちを迎えてくれた。
私はこの頃、台湾へ行くことを「回台湾(台湾に帰る)」と表現していた。家族の中で唯一、日本生まれの私は台湾で暮らしたことがない。しかし、幼い頃から常に「中国人としてしっかり生きなさい」と親に教育され、しかも中華街にある橫濱中華學院に通っていた私は、違和感なく中華民国(台湾)を自分の「祖国」として受け止めていた。
「ビザがないので」私だけが入れなかった
同じ無国籍でありながら、台湾に戸籍を持つ両親は、台湾が発行する身分証を持っていたため、すんなりと入国審査のゲートを通り過ぎていった。私の番になった。女性の入国審査官に「中華民国護照」を手渡した。彼女は私のパスポートを一枚一枚めくり、しばらくすると、彼女の口から思いもよらない言葉が返ってきた。
「妳沒有簽證所以不能入境(あなたは、ビザがないので入国できません)」
「啊? 我有台灣的護照、為什麼還需要簽證?(え? 台湾のパスポートを持っているのに、なぜビザがいるのですか?)」と聞き返した。「自分の国に帰るのに、入れないなんてあるはずがない」と思い、審査官の勘違いだろうと思っていた。しかし、入国審査官はただ頭を横に振るだけで、その態度は冷たかった。
粘ろうとすると、何人かの審査官が集まってきて、代わる代わる私のパスポートを覗き込み、同じように頭を横に振った。
「妳在台灣沒有戶籍、所以沒有簽證就不能入境(君は台湾に戸籍がないから、ビザがないと入れない)」
私は諦めざるを得なかった。そして心は傷ついた。
「『祖国』だと思っていた国に入境拒否されるなんて……、なぜ?」