「日本には入れません、今から台湾へ帰ってください」

「国境」の向こうで、何が起こっているのか分からずに不安そうに眺める両親に、私が大きな声で、「我不能進去!(入れないって!)」と伝えると、母は少し驚きながら、「哎呀! 我打電話叫二姐去羽田接妳(あら~、二姐〈二番目の姉〉に羽田に迎えに行くよう電話しておくわ)」といって、両親は台湾へ、そして、私は一人日本に戻ることとなった。

数時間囚われていた失意と憤りから早く脱したいと思い、気持ちを切り替え日本に向かう便に乗った。羽田空港に到着し、飛行機を降りると少しでも早く家に帰ってお風呂につかり、休みたいと思った。空港には、両親から「天璽が一人で日本に帰った」という連絡を受けた姉が迎えに来てくれていた。

私は入国審査のゲートに足早に向かった。日本に永住する無国籍の私が入国するためには、再入国許可書と外国人登録証明書の提示が必要だ。それらを渡すと、入国審査官は怪訝な顔をして「後ろのベンチで待っていなさい」と指でゲートの奥の方を指した。私はまた「どういうこと?」と不安と憤りがこみ上げてきた。

空港のベンチ
写真=iStock.com/undefined undefined
※写真はイメージです

1時間ほど待っただろうか、入国審査の列が終わると、事務室へと呼ばれた。部屋に入って座ると、入国審査官から「日本には入れません、今から台湾へ帰ってください」といわれた。「えっ?」。私は一瞬耳を疑った。

「このまま空港で生活することになるのか」

「私は横浜に家がある永住者です。今、台湾に入れず、日本に帰って来たんです」と憤りを抑え、冷静なふりをして主張した。

しかし、審査官は、「再入国許可の期限が切れたまま日本を出国した場合は、永住資格もなくなるという決まりがある」ことを淡々と私に説明した。空港から出られず、「このまま空港で生活することになるのか」という不安が頭をよぎった。

無国籍である自分をこの時ほど肌で感じたことはなかった。祖国だと思い続けていた中華民国・台湾に入れず、一方、自分が生まれ育った日本にも入れない。「自分の居場所は?」「自分って、いったいナニジンなのだろう?」。アイデンティティは音を立てるかのように崩れ落ち、そして、自分を「箒で掃かれ、どこからも必要とされない埃」のような存在に感じた。

私はこの日以来、「回台湾」という言葉にも「日本に帰る」という言葉にも違和感を覚えるようになった。さらに、国境というものが本当に存在すること、そして、国籍や国というものが持つ、排他的な一面を思い知らされた。

その後、幸いにも、数日前に私が日本を出発する時に、私の出国審査を担当した審査官が私と両親を送り出したことを覚えていた。その審査官が確認すると、私を送り出す際、審査官の書類確認に不備があったことが発覚した。

結局、私は無事に日本に入国することができた。しかし「万が一、あの審査官が私を覚えていなかったら……」、そう思うと恐ろしくてたまらなかった。