歴史をつくっているのは権力者だけではない

今も昔も、史実に残るのは権力者に都合よく記述される事柄だ。文字や記録の手段を持たない者たちの日常は大河で描かれにくい。

ところが、三谷大河では農民や女たちの本音をふんだんに盛り込んでいる。庶民側の目線を決して忘れていない。根底に権力批判の心意気がある、と勝手に感じている。

好ましい特徴としては、権力に従わない「わきまえない女たち」、また権力を手玉にとる女たちだ。夫や父に従わず、逆に手綱を握る女が幅を利かせる。

『新選組!』では沖田総司(藤原竜也)の姉・みつ(沢口靖子)、『真田丸』では真田家家臣の娘・きり(長澤まさみ)、真田信之(大泉洋)と政略結婚させられた稲(吉田羊)。

「鎌倉殿」では義時の妹・実衣(宮澤エマ)や義時の継母・りく(宮沢りえ)、頼朝の妾・亀(江口のりこ)あたりの、わきまえなさや策士っぷりが心地よい。食欲や性欲に忠実、余計な一言もばんばん吐く。毒舌や口の軽さで和を乱し、面倒事を起こす。

考えてみれば、登場する他の女もみんなしたたか。純粋で一途に見えても言いたいことは言う。楚々としてヨヨヨとよろめく女はほぼいない。なんなら女の一言で戦が始まってしまうくらい、女の立場が強いのだ。

2004年の『新選組!』ではまだ父権社会に従順、あるいは妖艶な立ち位置の女が多かったことを考えると、『真田丸』と「鎌倉殿」は時代の流れをくんだともいえる。「機を見るに敏」も三谷大河の長所だ。

他の大河では描かれない年寄りの存在意義

「鎌倉殿」で話題になったのは、歯が抜けたお爺ちゃんが出てきたことだ。

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近江の元豪族で、頼朝が兵を募った際に意気揚々と志願してきた佐々木秀義(康すおん)。源氏方への熱い思いを語る(頼朝の父の戦に参加した経験あり)も、歯が抜けてふがふが、何をしゃべってんのかわからない。志願してきた人数が少ないうえにこんな年寄りばかりで、頼朝が不安を覚えるという場面だ。

年寄りの平武士など大河にはほぼ出てこない。三谷大河ではこうした年寄りが重要な役割を果たす。

『新選組!』では、一時期阿漕あこぎな薬売りに転じた土方歳三(山本耕史)が武士たちにリンチされて売り上げを取られる場面があった。一緒にボコられたのは行商仲間のひも爺(江幡高志)。ひも爺は理不尽な目に遭っても、へらへらと笑っている。

「殴られてるとき、俺何考えてたと思う? 俺が昔抱いた一番上等な女のことよ。奴らが殴っている間、俺の頭ン中は女のことでいっぱいだった。俺の勝ちよ。覚えときな。俺たち百姓があいつらと渡り合うにはこれしかないんだ」

あまりに卑屈な世渡り術に、土方は憤る。身分の違いで理不尽な暴力と略奪にひれ伏すのはおかしい。土方の思想の根幹にこの体験が根を張る、重要な場面だ。

また、たとえ武将であっても老いの描写を厭わない。『真田丸』では豊臣秀吉(小日向文世)が老いていく姿を如実に描いた。

骨折を機に寝たきりとなり、次第にボケていく。同じことを何度も言い、部下を忘れ、激しくなる譫妄せんもう。戦国時代を牽引した名武将の最期は、誰にも看取られずひとり寂しく死んでいく姿で見せた。この回のタイトルは「黄昏」。栄枯盛衰の妙だった。