渋沢栄一が説く駄目な経営者の3タイプ
【田中】合本主義に関連してもう1つご紹介したいのが、『渋沢百訓』という本の「企業家の心得」という章にある、「企業要領」についてです。ここでは、事業を起こすときの4つのポイントが挙げられています。
1番目が「その事業は果たして、成立すべきものか否かを探究すること」、2番目が「個人に利益を与えるとともに、国家社会にも利益を与える事業であるかどうかを知ること」、3番目が「その事業を行う好機かどうかを判断すること」、4番目が「事業が成立した後、その経営者に適当な人物がいるかどうかを考えること」。
この4つが凄いと思ったのは、資本主義では資本が最も重要ですが、渋沢栄一はすでにこの中で事業のパーパスが重要であると述べていることです。2番目の「個人に利益を与えるとともに、国家社会にも利益を与える事業であるかどうかを知ること」という言葉は、要するに事業とはパーパス、公益がなければいけないということです。そして、経営者が重要だとも言っています。
当時から、人そしてパーパスが重要だと述べている、この4つのポイントはすごいなと改めて思いますがいかがでしょうか?
【渋沢】その通りですね。『論語と算盤』の「算盤と権利」の章の「合理的な経営」の部分では、駄目な経営者の3つのタイプについても述べています。
駄目なパターンの1番目は「経営者というポストが欲しい人」。これはもちろん駄目な例ではありますが、そこまで大きな害はありません。2番目が「いい人だけれども算盤勘定ができない人」。これはポストが欲しいだけの人よりも害が大きい。いい人が経営者になる方が悪い、というのがおもしろいポイントです。最も駄目なのが「自分のためだけに経営者になる」パターンです。日本では3番目の例はあまり見ない気がしますが、1番目と2番目のパターンはけっこうあるのではないでしょうか。
【田中】2番目のパターンは先程の4つのポイントの中の1番目にも通じますね。当たり前で見落としがちなこともきちんと記されていて感銘を受けます。
【渋沢】渋沢栄一の時代はある意味、プロの経営者がいた時代です。今の日本のように、組織の中でリスクを取らずに最後まで残った人が経営者になるパターンはあまりなくて、やはり成果を出す人が経営者になっています。成果を出す人はさまざまな企業に必要ということで、ヘッドハントのようなこともたくさん行われていた時代です。
最近は日本社会でも考えが変わってきたと思いますが、今までの「日本経営」のあり方は戦後に生まれたものです。明治維新から戦前にかけての30〜40年間はある意味生々しい資本主義でしたよね。
【田中】あの時代に『論語と算盤』を主張していなかったら、論語の要素がない商業だけが行われていた可能性は高いですね。だからこそ日本資本主義の父と呼ばれていたのでしょうね。
「成金」に警鐘を鳴らした理由
【渋沢】『論語と算盤』が出版された時代背景も大切です。第一国立銀行を作った明治維新前後の時期はまだ、栄一は『論語と算盤』という表現はしていませんでした。『論語と算盤』の出版は、1916年・大正5年です。渋沢栄一が生きていた時代は封建国家だった時代を経て明治維新があり、40年ほどで当時の先進国に追いついた。ものすごい成功ではありますが、大河ドラマでは「こんな日本になってしまって……」という渋沢栄一の嘆きが表現されていました。
「成金」という言葉も第1次世界大戦の好況で儲けた人を指す言葉で、それに対して警鐘を鳴らしていました。商人としてきちんとした道理で商売しないと、せっかく築いた豊かな社会が破壊されてしまうと危惧していたと思います。そして、その危惧が第2次世界大戦という現実となったわけです。
豊かさをどう継続させるか。それが、先ほどの『論語と算盤』の信頼や道理につながっていると思います。ただ単に「いいことをしなければ駄目」というお説教よりもよりリアルな考え方です。