中曽根さんへの質問「『風見鶏』と言われてどう思うか?」
1982(昭和57)年11月に、中曽根康弘さんが自民党の総裁となり、次いで第71代の内閣総理大臣になりました。
総裁に決まったとき、私は中曽根さんに雑誌のインタビューで、「あなたは世の中から『風見鶏』だって言われているけど、どう思いますか?」といきなり直球の質問をしました。
中曽根さんは機嫌を損ねるどころか、待っていましたとばかり、こう言いました。
「田原さんね、政治なんていうのは、『風』を見なければ危なくてできやしない。風見鶏だからこそ立派な仕事ができるんだよ」
なるほどと思いました。
当時、中曽根康弘という人物は「三角大福中」と呼ばれ、自民党の実力者5人の一人でした。5人の中で彼が総理大臣になるのが一番遅かった。
その間、あるときは福田赳夫と組み、あるときは福田のライバルの田中角栄や大平正芳と手を結び、あるときはハト派の三木武夫とも手を組んだ。
そんな中曽根さんをマスメディアは「風見鶏」と呼んで揶揄したのです。
ですが、そうやって世の中の状況を察知し、機敏に対応することも政治家としては必要な能力です。
それがうまくできずに、力があるのに失脚し、勢いを失う政治家はたしかにたくさんいました。まして当時の自民党の内部は、「三角大福中」がしのぎを削る戦国時代。独りよがりな言動は致命的になります。
中曽根さんは自分自身の政治家としての信念のもとで、あえて風見鶏たらんとしたわけです。
大物ほど本音をぶつけると喜んで話してくれる
当然ですが、世間の風評は耳に入っていたはずです。でも、それを直接言ってくる人がいないので、こういう理由があるんだとエクスキューズもできなかった。私が率直にぶつけたのは、いま思えば中曽根さんにとっては渡りに船だったのかもしれません。
中曽根さんは最終的には田中角栄の力によって首相になります。でき上がった内閣は「田中曽根内閣」などと叩かれたりしました。それは田中派の幹部を何人も大臣にしたからです。
とくに、ハト派の代表的な存在である後藤田正晴さんを官房長官に据えました。
「なんで後藤田さんを官房長官にしたんですか、だから田中曽根内閣なんて言われるんですよ」と話したら、「ちゃんと理由がある。一つは、後藤田さんは力がある。もう一つは、自分はタカ派と言われるが、彼はハト派で、私と彼とは考え方が正反対だ。だからバランスが取れていいんだよ」と言ったのです。
総理総裁になるくらいの政治家は、器が違うなと思いました。全体を見て人事を考えています。なにより、こちらが本音で向かえば、本音で応えてくれるのです。
やはり政治家でも、幹事長とか総理総裁になる人は器が大きい。そうじゃなければそこまでなれないわけです。
大物ほど本音をぶつけても怒りません。むしろ、喜んで話してくれることが多い。私の実体験からの結論です。