下調べこそが会話の極意だと教わった
この人には、建前が一切通用しないんだとわかりました。
酸いも甘いもかみ分けて、人情の機微を知り尽くしている人間通の大政治家に、小手先のテクニックなど通用しません。人間対人間、裸になって本音で向き合わなければいけない……。
同時に、相手のことをどれだけしっかり調べているか。どれだけ知っているかで勝負が決まるということがよくわかりました。
田中さんは本来、インタビューされる側です。それが必死になって私の資料を読み込んで、取材に臨んでいるわけです。これには参りました。
お互いが認め合い、本音でぶつかるには、まず徹底的に相手のことを知るということ。相手が驚くぐらい、相手のことを知っていることが、コミュニケーションの大前提であることを教わりました。
おかげでその後は丁々発止のインタビューになりました。
延々5時間、田中さんは大好きなオールド・パーをちびちびと飲みながら、タオルで汗をふきふき熱弁をふるいます。
興が乗るとつい新潟弁になります。私はこれが田中角栄という人間の魅力なのかと、つい引き込まれました。
「田原君、俺は夜中目が覚めたときに、日本地図を眺めるのが好きなんだ。地図を見ていると夢と想像がどんどん膨らむ。ここにダムを作ろうとか、ここに高速道路が走ったら便利だとか、次々アイデアが浮かんでくるんだよ」
しっかりと準備し本音で相手に飛び込んでいく
日本列島改造論は、田中さんが地図を眺めながらワクワクしながら生まれてきたものだとわかりました。
そして政治の表舞台から去ったのは、決して金権政治への批判によってではなく、甲状腺機能亢進症という病気だったからだということも。
「池田さんも佐藤さんも、大平君もみんな早く逝ってしまった。総理大臣なんてね、そりゃ精気も何も吸い取られる仕事だよ」
田中さんは総理になって2年目の国会中に顔面神経痛を患いました。その話に及ぶと、「俺は気が弱いんだよ」と言っていたのを思い出します。
政治家として毀誉褒貶の激しい人だけれど、強さも弱さも含めて、スケールの大きな魅力的な人物だと知りました。
この田中さんとのインタビューが、私のジャーナリストとしての型を決めたと言っても過言ではありません。
その後、取材やインタビューの際は、相手のことを調べられるだけ調べ、しっかりと準備していく。それをもとに、本音で相手に飛び込んでいく。それが私の基本スタイルになりました。