相手に議論を仕掛けても嫌われる人と嫌われない人はなにが違うのか。ジャーナリストの田原総一朗さんは「『論破王』と呼ばれるひろゆきさんとのリモート対談は、かなり突っ込まれて新鮮だった。しかし、ネット社会の当たり前を日常生活にそのまま当てはめるべきではない」という――。
※本稿は、田原総一朗『コミュニケーションは正直が9割』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。
「わかりません」と言うための大前提
どんなに相手のことを調べ、準備万端整えたとしても、話の中でわからないこと、知らないことが出てきます。
そのとき、さも自分がわかっているように知ったかぶりをすることは、結果として大きなマイナスになります。
私はインタビューの席でも討論の席でも、自分がわからないことを相手がしゃべったら必ずこのように聞くことにしています。
「申し訳ないけれど、それを知りませんでした。わかりやすく説明してもらえませんか?」
「頭が悪いので、よくわかりません。わかるように教えてください」
と率直に聞きます。
自分が知らない、わからないということに対しても、正直になることが必要です。恥ずかしがることはありません。
じつは、恥ずかしがらず率直に相手に聞くことができるというのも、「基本的なことはほぼ調べている」という前提があるからこそなのです。
相手に関して、あるいはテーマに関して事前にしっかりと調べているからこそ、もし自分がわからないことがあれば、それは読者なり視聴者にとってもわからないことだと判断できます。
ところが、事前の調べができていないと、その判断がつきません。
こんな質問はすでに多くの人が知っているのではないか? 自分の質問は的をはずれたものではないか? という恐れがあると、率直に「知らない」とか「教えてくれ」と言いづらいわけです。
徹底的に調べた上でなら、自信を持って「知らない」「教えてください」と言えるでしょう。
逆に言えば、「知らない」「わからない」とハッキリ言えるようにするために、徹底的に下調べをするわけです。