「誰もやっていないこと」には誰も興味を示さなくなった

【内田】確かにそのおかげで特定の分野では世界的レベルの研究が出てきましたけれども、それは専門家による精密な格付けをめざしてなされた研究であって、日本の中高生に読まれることなんかはじめから想定していない。でも、「フランス文学っておもしろそうだな。フランス語ができて本が読めると楽しそうだな」と思ってくれる中高生が毎年何百人か出てきてくれないと、仏文は持たないんですよ。仏文に来たがる高校生が減ってしまったら、「なんだ、じゃあ、仏文学科なんか要らないじゃないか」という話になる。

皮肉な話ですけれども、研究者たちが学会内部的に精密な格付けを求めるようになるにつれて、仏文研究に対する社会的な「ニーズ」が減り、気がついたら、日本の大学から仏文科がなくなってしまった。もともと「大学教員のポスト」を得るために始めたゲームのせいで、大学教員のポストそのものがなくなってしまった。

それと同じようなことがいろいろな領域で起きているような気がします。俳優になりたい、ミュージシャンになりたい、映画監督になりたい、カメラマンになりたい……なんでも、そういう商売をめざす若者たちは東京に行って、精密な格付けを得ようとする。逆に、「誰もやっていないこと」には誰も興味を示さない。知的イノベーションが起きなくなるのも当然です。

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全国の医者が目指す「東大と慶應の医局」

【岩田】耳が痛いです。日本独特の病理ですね。ちなみにわれわれの領域もまったく同様です。

【内田】そうなんですか。

【岩田】医学の世界にも弱小の医局と、巨大な医局というのがありまして、例えば東京だと、東大や慶應の医学部が大きくて一、二を争う力を持っているんです。医師たちもみんな、東大と慶應の医局に入りたがるんですね。僕は島根医大の卒業生ですけど、島根出身の医者がそんな巨大な医局に入っても、結局下っ端扱いされるだけなんです。でも、大きな医局に所属しているだけで安心できるから、出世したい医者も東京に集まるんです。それで島根医大を卒業した医者も少なからぬ人が東京の大学に入ります。といってもそこで存在感はなかなか出せないし、トップ層に上がる見込みもまずないのに、居心地がいいんですね。