なぜ多くの若者が東京に集まってくるのか。神戸女学院大学名誉教授の内田樹さんは「今の若い人たちは『自分は日本全体で何位か』を知りたがっている」という。神戸大学大学院医学研究科教授の岩田健太郎さんとの対談をお届けしよう――。

※本稿は、内田樹・岩田健太郎『リスクを生きる』(朝日新書)の一部を再編集したものです。

医療関係の人々
写真=iStock.com/metamorworks
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「自分は日本全体で何位ぐらいなのか?」を知りたい

【岩田】多くの若者が東京に集まってくるというのは、何が魅力なんですかね。

【内田】僕もそこが疑問なんです。数年前に地方移住をテーマにした『ローカリズム宣言』(デコ)という本を書きました。「都市を離れて地方に移住する人たち」を素材にした連載で、2年ほど続けましたが、最後に行われたインタビューで、「連載では内田さんはずっと地方移住を訴えてきましたけれど、その間、東京の人口はむしろ増え続けています」と編集者に言われました。「なぜ、若い人たちはあえて生活が苦しいことがわかっている東京に集まってくるんでしょうか?」と訊ねられて、困り果てた末に、僕が仮説として思いついたのが、「もしかすると、今の若い人たちは、具体的な幸福や充実感よりも、精密なランキングを求めているんじゃないか」というアイデアでした。

【岩田】ランキングですか。

【内田】ええ。自分の専門領域で、「果たして、自分は日本全体で何位ぐらいなのか?」を正確に知りたいということです。自分の「人生の偏差値」を誰かに算出してもらって、それを教えてほしいんです。きちんと「格付け」してもらえれば、自分は将来的にどの程度の社会的地位をめざせばいいのか、どの程度の野心や夢を持つことが許されるのか、どのレベルの配偶者を期待していいのか……それがわかると思っている。

比較対象がいないまま「お前は村一番の秀才だ」と言われるよりも、都会に出て「あんた、一万番だよ」と冷たく評価されたほうが安心できるんです。自分が何ものであるかということを、どのような人生設計を思い描けばいいのか、それを一刻も早く知りたい。そういう欲求が若い人たちはなんだかやたらに強いような気がするんです。

「精密な格付け」なら低いランクでもいい

【岩田】なるほど。ランキングされるのであれば、低いランクでもいいわけですか。

【内田】そうです。精密で正確なランキングを知りたいみたいです。前の対談でも日本の仏文学研究の衰退について話しましたけれど、それは、若い研究者たちが「精密な格付け」を求めて、研究者が他にたくさんいる分野に集中してしまったからだと僕は思っています。

【岩田】そのお話はよく覚えています。

【内田】19世紀文学、それもプルーストとフローベールとマラルメ研究に若い研究者が集まってしまったのは、その3人については、日本国内に世界的な権威がいるからだと思います。だから、論文を書いても、学会発表しても、先行研究と照らし合わせた精密な格付けが得られる。

学会内で高い格付けが得られれば、大学の専任ポストが手に入る。格付けが低ければ、研究者になるのを諦めるか、生涯非常勤でも我慢する。そういう考え方を「合理的」だと考える人たちが増えてきた。だから、「みんながやっていることを、みんなよりうまくやる」競争になってしまった。「誰も研究していないこと」は比較項がないせいでゼロ査定されるリスクがある。