男女別学の学校生活には意義がないのか
埼玉県内で議論されていた県立高校の男女別学を共学化すべきかという問題に対し、県教育委員会は8月22日、「主体的に共学化を推進していく」との報告書をまとめました。
“高校3年間を男女が互いに協力し、学校生活を送ることに意義がある”とした上での今回の決定。確かに男女が共に学校生活を送ることにも一定の意義はあると思いますが、“男子だけ”、“女子だけ”のいわゆる別学の環境での学校生活にはそれに匹敵する意義はないと解釈できる見解にいささか違和感を持ちました。
現在、県内の国公立高校は133校、対して別学高校は12校。男子校、女子校を合わせてもたった1割ほどにもかかわらず、なぜこれほどまでに埼玉県では議論が燃え、根強く共学化を推進する動きがあるのでしょうか。
2000年から始まった「共学化」問題
そもそも今回の議論の発端は、一昨年に県民個人から寄せられた「男子高校が、女子に対し、女子であることを理由に入学を拒んでいることは不適切」という苦情。
しかし、これまでも埼玉県では、県立高校の共学化についてはさまざまな議論が繰り広げられてきました。議論の歴史は、2000年に所沢市の女性グループが「県立高の男女共学化の早期実現」を申し立てたところまでさかのぼります。
背景には、1999年に男女共同参画基本法が成立したこと、それにより、県がいち早く男女共同参画推進条例をスタートさせたことにあります。この条例の肝いり施策として、男女共同参画苦情処理機関が設置されたことを機に、共学化を申し立てる声が度々取りあげられるようになりました。
なぜ、このような声があがるのでしょうか。
県実施の「埼玉県立の別学校に関するアンケート」によれば、共学化推進派の主な意見は次の通り、
・「男女共同参画やジェンダー平等に対する理解が進むから」
・「『男子は○○』『女子は□□』といった固定的な役割分担意識にとらわれないで学校生活を送ることができるから」
「別学がジェンダー不平等の元凶」との考えに基づいた意見が並びます。