大人になってからも学歴を気にする人は多い。福厳寺住職の大愚元勝さんは「学歴コンプレックスの人の問題は、自分の実力を正確に把握していないことだ。こういう人は何でも欲しくなり、欲に振り回されて本当になすべきことができない」という――。

※本稿は、大愚元勝『絶望から一歩踏み出すことば 大愚和尚の答え一問一答公式』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

履歴書の学歴欄
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何歳になっても「学歴」はつくれる

「大学くらい出ておくべきだった」
「本当ならもっとレベルの高い大学に行っているはずだった」

学歴コンプレックスの人から、けっこう相談が来ます。

まず知っておいてほしいのは、お釈迦様もキリスト様も、大学を出ていないということ。ミュージシャン、芸術家、起業家、経営者……、学歴がなくても歴史に名を残す人はいくらでもいます。

どうしても気になるなら、学歴なんていつでも、いくらでもつくれます。

福厳寺のお檀家さんのおばあちゃんで、娘さんが離婚し、孫を連れて帰ってきたという方がいました。シングルマザーとして働いていた娘さんは、やがて新たにいい人ができて、子どもを置いて出ていってしまった。そこで、おばあちゃんが孫の面倒を見ることになりました。

離婚した父親と会うこともなく、母親にも捨てられた孫が不憫で、おばあちゃんはなんとか孫を大学に入れたいと思いました。それがすべてではないにしろ、学歴があったほうがいいと思っていらしたんですね。

孫と一緒に勉強し、早稲田大学に合格

しかし祖母の心、孫知らず。お孫さんは複雑な家庭の影響なのかちょっとグレていて、大の勉強嫌いだったんです。

そこでおばあちゃん、なんと自分も一緒に受験勉強を始めたんですよ。60代も終わりで長らく勉強から遠ざかっていた普通のおばあちゃんが、孫と図書館に通って必死で勉強なさった。

そして早稲田大学に合格したんです。学費の問題もありますから、おばあちゃんは合格しただけで大学には行きませんでしたが、お孫さんも別の大学に合格。今ではちゃんと就職して、立派に働いています。

私はこのおばあちゃんを見ていると、人生の本質を教えられる気がします。

学歴はいつでもつくれるし、そもそも学歴なんてどうでもいい。だって、結局大学に行かなかったおばあちゃんは高卒のままですが、どんな一流大学を出た人よりも素晴らしい方ですから。