次々と容認する先進国そして「法の拡大解釈」
私が各国での取材を終える頃から、安楽死法案を可決する国が増えてきた。それまで、伝統的な欧州の数カ国と南米コロンビア、そしてアメリカの一部の州のみで実施されていた制度だったが、その後の約5年間で急速に広がり、現在では次の国々で認められている。
カナダ(16年)、ニュージーランド(19年)、ドイツ(20年)、スペイン(21年)、オーストリア(22年)、オーストラリア(同)、そしてポルトガル(同)。フランスでも、24年か25年内に安楽死の是非が確定する見込みだ。
西欧では、カトリック色の強いイタリアと、緩和ケア発祥の地とされるイギリスの2カ国のみが、慎重な態度を貫いている。しかし、今の欧州の動きを見ると、もはや時間の問題だろう。
言うまでもなく、長寿大国の日本でも、安楽死の実現を期待する人たちがいる。だが日本社会において、医療行為による命の終結が相応しいのかは疑問だ。拙著を出版後、希死念慮を訴える多くの読者からメールが届くようになった。しかし、ほぼ全員が安楽死の条件を備えない「自殺希望者」だった。
安楽死を切望する高齢女性からは、100通を超えるメールが届き、その都度〈誰かこの息を止めてくれ〉と嘆願。〈老いと病を抱えて・毎日自殺志願者です〉と綴る文字からは、孤独による苦悩や苛立ちが伝わってくる。
確かに、安楽死という言葉には、どこか穏やかで安心できる響きがあり、「理想的な死」という錯覚が持たれやすい。しかし、簡単に成立する法律ではない。スイスやオランダなどでは、ある日突然、制度化されたわけではない。容認国には、「死ぬ権利」または「自己決定権」を勝ち取るための長い歴史があったことを忘れてはならない。
もちろん、時代とともに「法の拡大解釈」という問題も生まれている。スイス国民のみを受け入れている同国最大の自殺幇助団体「エグジット」は、22年9月、フランス映画の巨匠、ジャン=リュック・ゴダール監督(享年91)の自殺幇助を行った。彼に終末期の症状はなかった。ただ「生きることに疲れた」ことが理由だった。
同団体フランス語圏支部のガブリエラ・ジョナン会長は、高齢者の安楽死について、私にこう説明した。「ここ数年、複数の疾患を持つ高齢者の会員が増えています。これは、終末期を迎えた人々とは限りません。心身の衰弱によって、命の終え方だけは自分で決めたいとの思いから、エグジットに連絡を取ってくる。彼らは、死の選択を持ちたいのです。そして何よりも、自らの人生の指揮を最後まで執りたいと思っているのです」
23年に「エグジット」で安楽死を遂げたスイス人会員の数は、1756人に上っている。
約10年間の現場取材と30年間の欧米生活を経て、私は、ある種の結論に達している。それは、西洋諸国の人々が求める死ぬ権利を、日本人が同じ土俵で語ることは難しいということだ。ただ、現代の西洋的な価値観と宗教観に基づくのであれば、安楽死は必ずしも否定されるべきものでもない。
ここから先は有料会員限定です。
登録すると今すぐ全文と関連記事が読めます。
- 広告最小化で快適な閲覧
- 雑誌『プレジデント』が最新号から読み放題
- ビジネスに役立つ学びの動画が見放題
- 会員限定オンラインイベント

