物事を柔軟に考えられるようになった
「フミコ先生の文章は世界観がしっかりしているので、一発でわかります。今の世の中には書きたくても書けない人、世界観が持てなくて悩んでいる人がたくさんいますよ」
担当編集者からそう言われて、驚いてしまった。その指摘されるまで、「自分には確固たる世界観がある」という自覚がなかったので、意表を突かれたのだ。
それから、僕の意識は180度変わった。
少々おこがましく聞こえてしまうかもしれないけれど、「書きたくても書けない人」「世界観が持てなくて悩んでいる人」に、僕が体得してきたものを届けられるのではないかと気付いたのだ。
「何の取り柄もない、普通のサラリーマンの僕だけど、『書くこと』についてなら、誰かのお役に立てるかもしれない」
「かつての僕のように必要以上に悩みを抱えてしまっている人を楽にしてあげられるかもしれない」
そう思うと、「これまでの経験とそこで得た技術をわかりやすく言語化し、ノウハウ化してみたい」という欲求がむくむくと首をもたげてきた。
そして、手始めに「書くこと」を切り口に、自分の過去を振り返ってみた。すると、書いた文章をネットにアップし始めた時期から、人生や世の中の見方や自分の態度が明確になり、物事を柔軟に考えられるようになっていたことに気付いた。
悩みとの付き合い方がうまくなり、世の中の変化への対応が苦にならなくなった。たいていのことでは、ビビらなくなっていた。
「書くこと」は人生のトレーニング
理不尽な事件への憤りや、将来への不安。面白くない仕事や迫りくるノルマ、一筋縄ではいかない上司、わがままなクライアント……。
そういった自分を取り巻くものに対して、大相撲の取組のように真正面からぶつかるだけでなく、往年の名ボクサーであるモハメド・アリのディフェンスのように華麗にかわすことができるようになった。
たとえば、無理難題を押し付けてくる上司について、「上司」「なぜ」「無理難題」をキーワードにして書くことで、「上司自身の焦り」のあらわれだと気付き、「彼は慌てているだけなのだ」と精神的に優位に立ち、冷静に対応できるようになった。
ひとことで言えば、トレーニング不足なのだ。ボクシングであれ、現実社会であれ、インターネットであれ、トレーニングなしで実戦に臨めばノックアウトされるのは確実。「書くこと」は人生のトレーニングだ。書くことによって、明日をどう生きるかシミュレーションすれば、自分なりの戦い方を見つけられる。
書き続けることで、自分なりの戦い方を鍛え上げていく。それが「書く」という行為だ。