また、仕事の効率だけを考えれば、おせちの勉強に来る人間を呼ばなくてもいいだろう。人が多いからといって仕事の効率が上がるわけではない。狭い店内に人が増えると邪魔になるだけだから。それでも、彼が人を頼むのは、正月の支度とは大勢が集まって作るものだと従業員たちに教えたいからだ。

浮かぶのは「従業員たちの未来の姿」

昭和の時代、年末になると親戚が集まって、おせちを作っていた。親戚がやってきて、子どもが帰省してきて、それぞれが分担して、煮しめや黒豆を炊いたりした。家族や親族が交歓しながらおせちをこしらえるのが、正月の支度だった。

野地秩嘉『京味物語』(光文社)

西は料理の作り方だけを教えているわけではない。昭和の生活の知恵を伝え、伝統の持つ意味を教えている。

午前零時を過ぎ、大みそかになった。店の人々は忙しく立ち働いていたから、私は誰にも挨拶せず、そっと店を出た。頭のなかにあったのは、おせちのことでもなければ西のことでもない。京味で働く従業員たちの未来の姿だ。

彼らはいつか独立して、自分の店を持つ。主人になり、弟子に料理を教える。

その時には西から習ったおせちを作るだろう。眠ることができないまま、西に叱られて、つらい思いをした仕事だ。しかし、本物のおせちを教えてくれたのは西だけだと思うようになる。おせち作りでいちばん得をしたのは弟子たちで、次に得をするのは弟子たちが作った京味流おせちを食べられる客だ。

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