「会社に求められる人材になる」「社会の役に立つ」という気持ちも大事ですし、決して否定されるべきものではありませんが、そうした気持ちは不公平なトレードに利用されやすいため、注意が必要なのです。

特に若いうちは、「会社に求められるままに、頑張って応える」という契約関係になりがちですが、会社のルールを鵜呑みにし、会社のシステムに乗っかり、会社の要求に応えられる能力があることをアイデンティティにしてしまうと、人生のどこかのタイミングで後悔することになりかねません。

たとえば、銀行で融資を担当している人が、周りから「優秀だ」と評価されているとしましょう。

でも、その評価のベースとなっているのが、「扱っている融資の額が大きい」「融資のジャッジが的確である」といったことだけであれば、それは単に「銀行員として優秀である」「融資の技能、会社の中で役に立つ技能が優れている」ということでしかないのです。

40代を乗り越えても、60代で再び危機が……

もちろん、技能が優れているのは誇るべきことですし、技能を伸ばすことで得られる幸福も大事です。しかし、技能はあくまでもその人の一面にすぎず、非常に環境依存的、一時的なものです。

技能だけ切り分けて褒められるのは、「お金をたくさん持っていていいですね」「顔がかわいいですね」と言われるのと同じようなものといえるのではないでしょうか。

なにより、会社員としての評価がどれほど高まっても、定年退職すると同時に、それらははぎとられてしまいます。

ミッドライフ・クライシスに限らず、人生の後半に差しかかってくるにつれて、「人生における、技能や職業以外の喜びや生きがいは何か?」という問いに直面せざるをえなくなるでしょう。

趣味らしい趣味を持つこともなく、定年を迎え、仕事から切り離されたとき、「自分には仕事以外にやりたいこと、喜びや生きがいを見出せるものが何もない」と気づく人も少なくありません。その時点で、あたらしい「ゆたかさ」を一から見つけていくのは非常に難易度が高いでしょう。

こうしたことは、不公平なトレードによって損をさせられがちな人だけでなく、会社や社会のルールを利用して、多少なりとも「おいしい目」を見てきた人にも等しく訪れます。

幸せとは自分の素直な感情に目を向けること

ミッドライフ・クライシスや定年退職後の虚無感に襲われないためには「会社や社会が『是』とする価値観は、あくまでも他人の都合で考えたものであり、自分を本当に幸せにしてくれるとは限らない」ということに気づくことです。

それらが本当に自分にフィットしているのか、どこかのタイミングでしっかりと検証し、「合わない」「不快だ」「必要がない」と感じたルールや関係性にはNOをつきつけ、自分のルールに基づいて生きる道を探すしかないのです。

これまでさまざまな方たちと接してきて感じるのは、「中年期にさしかかった時点で、自分が幸福な人生を歩むことをあきらめてしまっている人が、決して少なくない」ということです。