権力にふんぞり返る武士を風刺
明治になって俳句、短歌の革新運動に取り組んだ正岡子規は、一茶の特徴を「主として滑稽、諷刺、慈愛の三点にあり」と指摘しました。こんな句もあります。
雀の子そこのけそこのけ御馬が通る
季語は、先の句と同様「雀の子」で季節は春。馬の足運びを連想させるような畳語のリズムで、悠長に遊んでいる雀の前に近づいてくるのは大名行列か伝令の馬なのでしょうか。滑稽と慈愛。そして、権力にふんぞり返る武士を風刺しています。柏原が北国街道の宿場町なので、一茶には大名行列を皮肉交じりに詠んだ句がたくさんあります。
ずぶ濡れの大名を見る炬燵哉
季語は「炬燵」で冬。冷たい冬の雨の中を往く大名行列を自分は炬燵に入ってぬくぬくとその様子を眺めている。まるで身分が入れ替わったようで痛快だというのです。一茶は反骨の人でもありました。
「滑稽・諷刺・慈愛」の眼差しは、自分の老いや貧しさにも容赦なく向けられます。
貧乏を楽しみ、悲しみを前向きに受け入れる
梅が香やどなたが来ても欠茶碗
もともとの一人前ぞ雑煮膳
一句目。季語は「梅の花」で春。貧乏でわが庵にある茶碗はどれも欠けている。茶碗が欠けても買い換えることもない。貧乏を憂いている句なのに、悠然と構えていて、弟子や友人の来訪を喜び、貧乏を楽しんでいる雰囲気が伝わってきます。
二句目。最晩年の句。「雑煮」で季節は新年。前の年に妻子を相次いで亡くしています。本来であれば、家族3人で迎えたはずの正月ですが、そこには老いた一茶ひとりしかいません。ひとりで食べる正月料理ほど虚しいものはないでしょう。「もともとひとりだったではないか」と自分に言い聞かせるように詠んだ句です。悲しみを静かに、そして前向きに受け入れている一茶がいます。