「あるがまま」を肯定する浄土真宗の教え

15歳で放逐され家を失い、その後は根無し草となって漂泊、晩年ようやく故郷・柏原に戻ったものの、妻や幼い子どもたちと死別、最後は大火で母屋を失い土蔵暮らしで65歳の生涯を終えた一茶ほど悲惨な人生を送った人はそういないかもしれません。

大谷弘至『楽しい孤独 小林一茶はなぜ辞世の句を詠まなかったのか』(中公新書ラクレ)

これほどの不幸に見舞われると、人は嫉妬や無念や悲しみや怒りで、宮崎駿監督の映画『もののけ姫』に登場した「タタリ神」のようなルサンチマンのとりこになるものですが、一茶は仏教で言う「三毒」、すなわちとん(我欲)・じん(怒り)・(妄執)に囚われることはなかったのです。わが身に沸きあがる我欲、怒り、妄執を鎮め、詩歌に昇華させたものが一茶の俳句でした。

信州柏原は浄土真宗の門徒の多い土地柄でした。一茶の家も代々真宗門徒で両親も敬虔けいけんな門徒です。真宗の開祖・親鸞しんらんは最後に「自然法爾じねんほうに」の境地に至ったといわれます。自然法爾とは、「あるがまま」を肯定すること。人間があれこれ無駄な手立てを講じるのではなく、人為を超えた阿弥陀仏の力に一切の救済を任せて生きていくことです。

一茶の俳風の根本には真宗の思想があり、年齢を深めるごとに親鸞が到達した境地の世界観が色濃くにじみでてきます。

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