「校正」とはどのような職業なのか。作家・髙橋秀実さんが校正者の精緻な仕事に迫るノンフィクション『ことばの番人』(集英社インターナショナル)より、一部を紹介する――。
冷たい讃岐うどん
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筆者が味わった「校正の境地」とは

校正の境地を味わうべく、私は日本エディタースクールの「セミナー校正1日教室【通信版】」に申し込んでみた。早速送られてきた教材を熟読する。原稿が本になるまでの工程や、使用する赤ペン(0.4ミリ、0.5ミリくらいの水性ボールペンか、0.3ミリ、0.4ミリのサインペンが適当)の説明などを読み、実習教材に挑戦する。簡単な文字の訂正や衍字えんじ(余計な文字)の「トル」「トルツメ」などは私も日常的に行なっているのでスラスラとできたのだが、「原稿引き合わせ」の実習でつまずいた。

手書きの原稿とゲラを並べて置く。利き手の側にゲラを置き、次のように作業を進めるという。

原稿の一字を指さして何という字か確認したら、目を校正刷に移して、同じ文字が入っているか確認しましょう。

「ゲシュタルト崩壊」を招く作業?

一字一字確認せよ、というのである。手書き原稿に「う」と書いてあり、ゲラのほうを見ると「う」とある。決して同じ字体ではないが、同じ「う」なので、OKということだ。そして原稿に置いた指を下にズラすと、今度は「り」とあり、再び目をゲラに移して、そちらの指をズラすと「り」が出てきたのでOK。続いて「こ」は「こ」、「ひ」は「ひ」、「め」は「め」、「は」は「は」、「、」は「、」と進むうちに、目を移す動きと指を下げるタイミングがズレ始め、しまいにはゲラの字とゲラの字を照合してしまい、前後不覚に陥って、どこまで照合したのかわからなくなった。それに手書き原稿の「う」をじっと見つめていると、うっすらと線がつながっているように見えてきて、「ろ」ではないかと思えてくる。あるいは上のほうに汚れがついた「つ」ではないかと。そもそもひらがなは漢字の略字。原稿引き合わせは原稿に書かれた略字と活字という標準的略字との照合であり、略し具合の同質性を判断しなければいけないのである。

などと考えながら、「う」「り」「こ」「ひ」「め」を一字一字区切りながら確認したのだが、こうすると全体の「うりこひめ(瓜子姫)」という単語が現われてこないことに気がついた。なぜなら単語はゲシュタルト(全体の形態)である。「う」と「り」と「こ」と「ひ」と「め」から、「うりこひめ」が生まれたわけではなく、「うりこひめ」という全体像が先にあり、それを音節に分解すると「う」「り」「こ」「ひ」「め」になるというだけで、部分に分けると「うりこひめ」は消失してしまうのだ。文字を注視すると線が動き出し、単語も消える。校正はゲシュタルト崩壊を招く作業なのではないだろうか。