作家・髙橋秀実さんの新著『ことばの番人』(集英社インターナショナル)は、校正者の精緻な仕事に迫るノンフィクションだ。髙橋さんは「日本国憲法にも複数の誤植が存在する。盛んに改正論議が繰り広げられているが、それ以前に『校正』が必要なのではないか」という――。

※本稿は、髙橋秀実『ことばの番人』(集英社インターナショナル)の一部を再編集したものです。旧字体・異体字が正しく表示されない場合があります。

日本国憲法
写真=国立公文書館提供/時事通信フォト
2001年10月、日本国憲法

「誤植」だらけの日本国憲法

誤植といえば、もうひとつ気になるのが法律だった。連日『官報』で訂正されているように、法律には誤植が異常に多い。なぜこんなに間違えるのかと疑問を抱いていたのだが、あらためて調べてみると、そもそも日本国憲法にも誤植があるらしい。

日本国憲法は日本国の「最高法規」。言ってみれば、社会の間違いを正す最高位の法律である。制定当初(1946年)に「われわれの日常生活の指針」(憲法普及會編『新しい憲法明るい生活』昭和22年)だと宣言され、金森徳次郎国務大臣(当時)などは「(この憲法は)國民の結晶した精神の表現」(山浦貫一著『新憲法の解說』內閣発行 昭和21年)であり、「國民が精醇化せいじゅんかされた精神をもっこれに對面するとき、卒讀卒解であるべきはずである」(同前)と訓戒した。つまり日本国憲法は日本国民の精神そのもの。私たち自身が映し出された不磨の法典なのだが、そこに誤植があるというのだ。

「明らかなのは、第7条です」

さらりと教えてくれたのは元新潮社校閲部の小駒勝美さん。校正者の間では常識らしいのである。第7条は「天皇の国事行為」を定めており、その第4項にこうある。

国会議員の総選挙の施行を公示すること。

文中に「国会議員の総選挙」とあるが、「総選挙」というと、衆議院議員選挙のみを示すことになってしまう。なぜなら参議院議員選挙は憲法(第46条)に規定されている通り、半数改選で全体の総選挙がないからだ。しかし実際には参議院選挙でも天皇による公示が行なわれているわけで、この「総選挙」の「総」の一字が誤植。この憲法が制定されるまで参議院はなかったので、うっかり見落としたらしい。

憲法は「改正」ではなく「校正」が必要?

それはダメでしょう。

私は思わずつぶやいた。盛んに改正論議が繰り広げられているが、それ以前に校正しなきゃダメでしょう、と。

調べてみると、もうひとつ誤植と公言されている条文があった。

内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する。

(第72条)

どこが誤植かというと句読点の欠落。元内閣法制局長官の大森政輔によると、「内閣を代表して」の後に「、」を「打ち忘れた」(『法の番人として生きる――大森政輔 元内閣法制局長官回顧録』岩波書店 2018年)そうなのである。正しくは「内閣総理大臣は、内閣を代表して、議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する」。つまり「内閣を代表して」は、議案の提出、国会への報告、行政各部の指揮監督、すべてにかかるはずなのに、「、」を打ち忘れたために、議案の提出のみが閣議決定を必要とし、それ以外は内閣を無視できるかのような条文になってしまったのだ。

そこで時の内閣は同時期に制定された内閣法に、わざわざ「内閣総理大臣は、閣議にかけて決定した方針に基いて、行政各部を指揮監督する」(第6条)という文言を入れたらしい。句読点の打ち忘れをこっそり他の法律で補正していたのである。

他にも誤植があるのではないか。