エンロン事件、経営トップに毛嫌いされて大スクープ
アメリカ史上最大の粉飾事件として2001年に話題になったエンロン事件はどうだろうか。粉飾を暴いた記者は同社のCEOジェフリー・スキリングや会長ケネス・レイに密着取材していたのだろうか。
密着取材どころか毛嫌いされていた。
エネルギー大手エンロンが粉飾決算によって株価をつり上げている可能性をいち早く指摘したのは、有力経済誌フォーチュンの記者ベサニー・マクリーンだ。高成長企業の代表格としてエンロンがウォール街でもてはやされていた真っただ中の2001年3月に、「株価が実態を反映していない」と書いて経営陣の逆鱗に触れている。
マクリーンは投資銀行ゴールドマン出身という経歴をフルに生かした。エンロンの財務諸表をしらみつぶしに分析したほか、エンロン株を持つヘッジファンドなど機関投資家にも幅広く取材。その結果、「事業内容は複雑怪奇。どうやって利益を出しているのか理解不能」と断じたのである。
エンロン経営陣はマクリーンを徹底的に排除しようとした。メディア批評家のハワード・カーツによれば、CEOのスキリングは彼女からの問い合わせに対して「君はちゃんと調べずに取材しており、記者倫理を欠いている」と言い、電話をたたき切った。会長のレイはフォーチュン編集長に連絡を入れ、「エンロン株急落でもうけようとしている空売り筋に彼女は利用されている」などと直接抗議した。
そんな圧力にも屈せずにフォーチュンはマクリーンの記事を掲載した。最終的には記事の正しさが証明され、同年12月にエンロンは経営破綻に追い込まれた。
アクセスジャーナリズムはPRと同じ
アマゾン組合つぶし、ウォーターゲート事件、エンロン事件――。権力への密着取材とは無関係に生まれたスクープという点で共通する。
だとすれば、マスコミは今すぐにでも「権力への密着取材からスクープが生まれる」という幻想を捨て去るべきだ。
アクセスジャーナリズムが根付くと、記者は事実上政府や企業のコントロール下に置かれてしまう。ネタ欲しさのあまり相手に都合が悪いことを一切報じなくなり、政府や企業を持ち上げる「よいしょ記事」ばかり書くようになる。
記者クラブ内でいわゆる「特オチ」を嫌がる文化が根強い点も見逃せない。他社が一斉に同じニュースを報じているなかで一社だけ蚊帳の外に置かれる状況だ。そのためクラブ内ではどのメディアもこぞって権力側にすり寄ろうとする。こうなるともはやジャーナリズムではなく、事実上「政府広報紙」「企業広報紙」と変わらなくなる。
イギリスの作家ジョージ・オーウェルは「権力が報じてほしくないと思うことを報じるのがジャーナリズム。それ以外はすべてPR(広報活動)」と定義している。これに従えば、アクセスジャーナリズムはPRと実質的に同じである。
その意味では、特オチとは「政府(あるいは企業)が報じてほしい情報を一社だけ報じていない状況」である。
米ジャーナリズム専門誌『コロンビア・ジャーナリズム・レビュー』の2014年2月号によれば、アクセスジャーナリズムは取材相手に説明責任を求める「アカウンタビリティージャーナリズム」の対極に位置する。アカウンタビリティージャーナリズムは調査報道と同義と考えていい。同誌によれば、両者は次のように対比できる。
〈権力側が持っている内部情報を報じるのがアクセスジャーナリズムであり、権力側に位置する組織や人間について報じるのがアカウンタビリティージャーナリズム。前者は権力側が言ったことをそのまま読者に伝え、後者は権力側の行動を監視して読者に伝える報道形態である〉