産経新聞は権力への密着取材継続を表明
もちろん池上は手放しで3人をたたえていたわけではない。「上司から言われたことは忘れられません。記者の心得として、『密着すれど癒着せず』という言葉でした」と付け加えている。
このような考えは異例でも何でもない。日本の大手メディアで働く記者の多くも同じ思いを抱いている。事実、賭けマージャン発覚後、既存メディア側からは次のような発言が相次いだ。
〈記者は権力の懐に飛び込まなければ駄目。密の関係を築いておかなければディープは情報を取れない〉
〈賭けマージャンは駄目だけれども、一緒に酒を飲みに行ったり、ゴルフに出掛けたりするのは必要。本音で話してもらうために〉
〈親しくなるのは大切。本当に報じるべきニュースを聞いたときには、相手を裏切ってでも書く覚悟でいればいい〉
当事者である産経は賭けマージャン発覚後、「極めて不適切な行為であり、深くおわび申し上げます」としながらも、「報道に必要な情報を入手するために取材対象者に肉薄することは記者の重要な活動」と書いている。
つまり、緊急事態宣言と賭博行為という2点で記者の行為は不適切であるけれども、取材先との密着取材は必要不可欠である、という判断を示したのだ。「権力との密着取材は今後も続ける」と表明したといえる。
密着と癒着は紙一重で線引き難しい
「密着は必要だけれども癒着は駄目」という考え方は一見すると正論だ。だが、実際には矛盾している。密着と癒着は紙一重であり、線引きは一筋縄ではいかないからだ。
記者は癒着しないように取材先と一定の距離を置くよう求められているというのに、ディープな情報を得るために密着取材しなければならない――。とんでもなく難しいだろう。
ディープな情報を得るために「仲間」を装って取材先の懐に飛び込み、最後に「実は記者として近づいていた」と言って裏切ればいいのだろうか。言うまでもなく、ここには報道倫理上の問題がある(報道以前に人間としての倫理上の問題もある)。
ならばアクセスジャーナリズムを否定すればいいのではないか。権力側とお酒を飲んだりゴルフしたりするのを一切やめ、常にオンレコ(記録あり)で正々堂々と取材するのだ。
こうなると、マスコミ業界の古参記者の間から必ず反論が出てくる。記者は権力側からディープな情報を取れなくなり、国民の知る権利に応えられなくなる、というのである。そんなことはない。権力に密着しなくても――正確には権力に密着しないからこそ――ディープな情報を取れるのである。