「ご結婚はまだですか?」が通用しない世の中

以前は、久しぶりに会う親戚には、「ご結婚はまだですか?」などと言っておけばよかった。秒でひねり出せる定型文である。

しかし、今そんなことを言えば、まごうことなきセクハラでありパワハラでありモラハラでもあるだろう。現時点で、誰も傷つけない発言をするためには、自らの能力を結集し、相手の思想信条・性癖・コンプレックス・社会的地位・収入・家族構成などから最善の一手を導き出す必要がある。密度の高い地雷原を歩くようなものだ。

岡嶋裕史『大学教授、発達障害の子を育てる』(光文社新書)

だから、ここ数十年、企業が新卒の学生に求める能力は「コミュニケーション能力」であり続けている。「えっ、あんなに色々頑張って教えたのに、大学の成績とか見てくれないんですか」とは思うものの、実際問題として今を生き抜くためにはコミュニケーション能力が最重要なのは間違いがない。

そして、自閉傾向の子の主訴は、コミュニケーション能力の欠落である。

今の教室では、みんな高騰するコミュニケーションコストに疲弊して、児童・生徒のキャラ化が進んでいる。40人教室なら、40人ぶんのキャラが用意されていて、クラスがえが行われた最初の1~2週間の振る舞いで、誰にどのキャラが割り振られるかが決まっていく。

これは、コミュニケーションコストを抑えるための、児童・生徒なりの工夫だと思う。一人ひとりの性向を把握しているほど、みんな暇ではない。でも、類型化されたキャラであれば、「この人に何を言っていいのか」、「自分はどんな発言を求められているのか」は、とてもわかりやすい。

また、キャラであれば、傷つくようなことを言われても、「あれは自分のキャラに対して言われたことで、自分自身についてではない」とアイデンティティの危機を回避することもできる。

「教室のキャラ化」はいじめキャラをつくりだす

教室のキャラ化自体は、そのような工夫であるといえるのだが、これの何が問題かといって、誰にどんなキャラが割り振られるのか、キャラ間の上下関係はどう構成されるか(いわゆるスクールカースト)が、ほぼコミュニケーション能力に依存している点だろう。

勉強ができたり、スポーツができたり、良さそうな特性を持っていても、コミュニケーション能力がなければ下位層のキャラに甘んじることになる。

多彩なキャラの中には、いじめられるキャラも用意されていて、それが割り振られるのは最もコミュニケーション能力が弱い子に他ならない。クラス内に自閉傾向の子がいれば、いじめられるキャラが降ってくる可能性は高くなる。

写真=iStock.com/andresr
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だから、今の教室におけるいじめの構造は、変わった子がいていじめられて、ではその子が転校すればクラスが平和になるといったたぐいのものではない。その子がいなくなれば、空席になったいじめられるキャラに、別の誰かが割り当てられることで教室の日常は円滑に運営されていくからである。

残念ながら、この問題に対して冴えた解決策を持っているわけではない。社会構造やそれを覆う情報構造を通じて、こうした問題を解決するのが、ぼくの勉強している分野のテーマの一つだけれど、まだSNSの炎上問題すら満足に解決できてはいない。一生をかけて取り組むべき課題なのだと思う。

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