なぜ自閉症児は生きづらいのか。自閉症の息子を育てている中央大学国際情報学部の岡嶋裕史教授は「価値観が多様なポストモダン社会になったことで、コミュニケーションコストが高騰している。その結果、学校では児童・生徒のキャラ化が進んだ。そこで自閉症児は『いじめられるキャラ』になりやすい」という――。

※本稿は、岡嶋裕史『大学教授、発達障害の子を育てる』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

リビングルームに一人で座っている子ども
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モデル事務所に声をかけられたこともあるのにモテない

ところで、自閉症の子は異性にもてない。

当たり前といえば当たり前である。恋愛などというものは、コミュニケーションの極北であって、定型発達の子であっても悩んだり苦しんだりするものである。

4月に入学したばかりの大学生だって、ゴールデンウィークには恋愛の悩みで学校に来なくなっている。うん、たださぼっているだけかもしれないけど。

他人に興味や視点がいかないので、恋愛の相手としてこの上なく不適切である。お見合いの最中に、食事の匂いでそわそわし出して、相手をおいてけぼりにして様子を見に行ってしまったのはシューベルトだっただろうか。とにかく、そんな事件が頻発するのは請け合いである。

ぼくの子も、まったくもてない。

たぶん異性に、外見ではねられているわけではない。幸か不幸かぼくの子は家族の誰にも似ておらず、街を歩いているときにモデル事務所に何度も声をかけられた前科がある。黙っていたら、そこそこもてそうな感じなのである。古い文献で(科学的根拠には乏しいと思う)自閉症の特徴として、「哲学者のような風貌」とか「いつまでも若く見える」などと記したものがあるが、それに当てはまる感じだ。

でも、ちょっと会話の弾みで「セアカゴケグモが……」とでも言ってしまおうものなら(しまったと思ったときには、もう遅いのだ)、「節足動物門クモ綱クモ目ヒメグモ科のセアカゴケグモだよね? メスはオスの2倍あって、特定外来生物で……」と30分は聞かされる羽目になる。そんな相手とはデートどころか、朝の挨拶だってしたくはないだろう。