歌舞伎から「逃げ恥」まで共通する文化とは

半沢直樹の物語が若い世代にとって今や時代劇になっているのと比べ、エンターテイメントの世界で時代を超えた普遍性を持つ物語、時間を経過しても「あるある」感を持てるコンテンツがある。

冨山和彦『リーダーの「挫折力」』(PHP研究所)

歌舞伎でいえば、江戸時代の庶民を描いた当時の現代劇である「世話物」。そして昭和の高度成長期なら、「寅さん」映画で描かれる物語。昭和の終わりから平成にかけてのテレビドラマなら『北の国から』。さらには最近なら『逃げるは恥だが役に立つ』(通称「逃げ恥」)である。いずれも私のお気に入りコンテンツだ。

これらに共通しているのは時代時代のエスタブリッシュメント的なエリートではなく、市井の一隅を照らしつつ「泣き笑い」しながら生きている多数派の日本人の姿を描いている点である。

そこに登場するメインの人たちは、終身年功的な大組織の正規構成員ではない。江戸時代なら藩に仕える忠義に生きる武士(当時の人口比10パーセント以下と推定されている)、現代なら大企業に勤める忠誠心に縛られたサラリーマン(これも全体の約2割に過ぎない)は主役ではないのだ。

描かれているのは、もっと色とりどりの庶民の人たち。誘惑に弱くていい加減なところもあり、現金なところもあり、仕事もころころ変わるし、男女関係やLGBTもおおむね緩め。だけど情に厚くて仲間や家族思い。酒色や博打におぼれてとんでもないことをしでかしておいて、心の底から反省し勢いで命を投げ出したりする。

まったくの現代劇である「逃げ恥」も、契約社員的な立場で生活している人や地元のマイルドヤンキー的な人たちを中心に、生き生きと今どきの多数派の人々のリアルを描いている。それこそ失敗だらけ挫折だらけの人たち。そこにはいつの時代も変わらない「あるある感」が満載だ。

考えてみたら古事記などに登場する神様たちもかなり緩いところがあるし、とっても個性的で多様なキャラが揃っている。

私は日本社会において底流を流れる変わらないものとは、こうした人生いろいろで、緩くて、しなやかで、流動的で、人懐っこい部分だと考えている。江戸時代にできた歌舞伎から現代のコミック原作のドラマにまで通用しているのだから、これこそまさに文化だ。

ゆるくて「いい加減」な共同体で働く時代

コロナショックで、がちがちに硬直化した日本のカイシャの仕組み、経済社会の仕組み、半沢直樹が悪戦苦闘してきたものは、さらに崩れていくだろう。人々はそういう仕組みのある場所に満員電車に乗って通うことが実は仕事でも何でもないことに気づいてしまったのだから。

その代わり、寅さんや「逃げ恥」を愛する私としては、新しい時代にお呼びがかかる日本的なるものは、もっと自由でぶっちゃけていて柔構造な日本のほうだと信じてやまない。

写真=iStock.com/kohei_hara
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こんなことをいうと、「共同体文化の日本人にとって会社という共同体を失うことは大きな危機だ」みたいなことをいい出す連中がいるが、若い世代が、半沢直樹がこだわっているあの共同体に帰属したいと考えるだろうか。

大丈夫。いつの時代も私たちはその時々に応じて融通無碍にいろいろな共同体を形成し、そこで愉快に生きてきたのだ。新しい時代のリーダーには融通無碍に新たな共同体、もっと緩くて「いい加減」な共同体を創造しまとめていくリーダーであってほしい。

私が代表を務める「日本共創プラットフォーム」でこれから活動していく社会空間も、現代のリアル日本の主役、新たな、そして本来的な日本的共同体空間である。河竹黙阿弥の芝居に出てくるヤバい人たちや寅さんの「とらや」の人たち、そして「逃げ恥」のみくりさんの実家周辺にいそうな人たちと仕事をするのが楽しみである。

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