教養は自分が納得して楽しめればいい
そして、教養の望ましい身につけ方、その3。自分が納得して、楽しむこと。
自分で楽しむ。満足する。これが大切。
つまり、教養は、自慢するものではないということです。
教養にもとづいて、発言したり行動したり、してはいけないのではない。本書の第5章でもすすめているように、読んだ本について考えたことを発信したり、誰かと感想をのべあったりするのは、学びを深める。よいことです。
でもこれは、教養をひけらかすのとは違う。教養があると思ってもらうために発言したり行動したり、はただの嫌味です。
教養に触れるのは、まず、楽しいから。楽しいから学んでいるうちに、結果的に、答えのない問題に自分なりの答えを出す準備が整うのです。要するに教養は、どこまでも自分のもの。自分が納得して、楽しめれば、それでいいものなんです。
ちょっと教養がついたかな、と思うと、そのことを誰かに認めてもらいたい、という心理になるひとがいます。けれどもそれは、やめておこう。みっともない。それに、その程度ではまだまだ教養が足りないことは、まる見えです。教養は自然ににじみ出るもの。そうでなければ尊敬されません。