※本稿は、橋爪大三郎『日本のカルトと自民党 政教分離を問い直す』(集英社新書)の一部を再編集したものです。
政党と宗教団体のWin-Winな関係
さて日本では、(カルト教団であってもそうでなくても)宗教団体が政治的パワーを持つ、という現象がある。これは、どういうことなのか。
それは、選挙のときに、まとまった票が見込めるからである。宗教団体票である。
すると、政党は、選挙を有利に運ぼうと、宗教団体と良好な関係を築こうとする。宗教団体は、票と引き換えに、政治的な要求を政党に持ちかけることができる。これが、宗教団体の政治的パワーの源泉である。
宗教団体が、集票マシンになる。――これは、日本では当たり前だと受け取られ、あまり不思議に思われない傾向がある。けれども、国際的にみると、とってもとっても、特殊な現象である。西欧社会、たとえばアメリカでは、こんなことは考えられない。「特殊な現象」を通り越して、スキャンダルと言ってもいいほどである。
公明党への集票に燃え上がる創価学会
創価学会の政治力の源泉は、学会員の献身的な選挙活動である。
選挙になると、創価学会は燃え上がる。親戚や友人に電話をかけまくる。ビラを配布して回る。ポスターを貼る。選挙事務所をボランティアで手伝う。ほかの政党がうらやむほどの厚い支援を、公明党は受けることができる。浮動票を集める力は、それほど大きくないかもしれない。けれども、確実に読める票が集まることほど、心強いことはない。
小選挙区制度のもと、自公の選挙協力は洗練の度を加えている。一人区の立候補を、自民党と公明党で調整する。「一人区は自民党、比例区は公明党」などと、投票を依頼する。両党が綿密に協力して、目一杯の議席を獲得して分け合うことをはかる。
政党と政党が、選挙協力をしたり、政策協定を結んだり、連立政権を組んだりすることは、問題がない。ふつうの政党同士であるならば。
公明党は、創価学会の価値観、世界観をもとに行動する、宗教政党である。創価学会の価値観、世界観がストレートに政治に反映してしまう点が、問題なのである。