地元に必要とされていると知り、職員ががらりと変わった

医師が一斉退職してしまった2015年秋には、「この病院はもうつぶれる」とほかの仕事先が見つけられる有能な看護師や職員は早々に転職してしまった。残ったのは家庭の事情や本人の問題で、ほかの病院に転職できない人たちばかりだ。実際、江角さんと一緒に病院を立て直そうというモチベーションが高いスタッフは、ほんの数人しかいなかった。

院長就任当初に「職員の皆さんのご意見を聞かせてほしい」と江角さん自らが面談を申し入れても、100人中50人しか受けてくれない。だが、来てくれた半数の職員から「風通しが悪い」と聞けば、朝礼や会議の回数を増やし、対話を重ねた。さらに、職員全員で協力しないと成り立たない「病院祭」を企画。来場者は「100人がやっとでは」とささやかれる中、1500人が来る大成功を収めた。

「これが本当に大きかったです。この病院が地元の人から必要とされていることを、職員が実感できた。人の意識は、人から頼られ、役割を与えられた時に変わります。信頼に応えたいと自ら動き出すんです」(江角さん)

過疎地域医療の対策1「フレキシブルな勤務体系で医師を確保」

患者が来るようになり、職員のモチベーションも上がった。

だが、患者が来るようになれば、医師の負担は大きくなる。地方では、医師獲得が常に課題となっている。江角さんのように志の高い医師が、「絶対に断らない」という方針で患者を受け入れていっても、過重な負担がかかり、体を壊してしまっては元も子もない。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/kumikomini)

江角さんはフレキシブルな勤務体系にすることで、現在自分を含めて常勤医師3名と非常勤医師1名という診療体制を築くことに成功している。さらに、4人の医師は全員、総合診療医であるため、皆がすべての患者を診ることができる。そのために、一人の医師に過重な負担がかかることを防ぐことができているという。

「最近では医師でも起業したい人や、NPOやNGOを作りたいという人が増えています。しかし、医師との二足の草鞋わらじを履かせてくれたり、3カ月の海外プロジェクトに参加さえてくれたりといった働き方を許してくれる病院はほとんどありません。そこでうちの病院では、これをかなえる給料システムや雇用システムをつくりました。医師が希望する働き方をとにかく受け入れて、できる範囲で病院に来ていただけるようにしたのです」

こうして働いているのが、81歳のアメリカ人医師クー・エン・ロックさん。クーさんは日本とアメリカ、カナダ、中国の医師免許を持っていて、それを使って半年は志摩市市民病院で働き、残り半年はアメリカで奥さんと自由に過ごしている。江角さんは2014年にピースボートの船医として働いていた。クーさんとはその時に出会い、彼が望む働き方に応える形で志摩市民病院に来てもらったのだ。