平成の新しい大型店として作った「ゆめタウン」

平成の時代を迎える頃になると、さまざまなジャンルの専門店や文化的な要素も備えた店舗が人気となり、衣料にしても食べ物にしても消費者の嗜好はさらに多様化してきました。以前と同じような店舗では、大規模な集客を維持することは難しいだろうと感じはじめていました。

そこで、新しいスタイルの大型店として登場させたのが「ゆめタウン」です。

1990(平成2年)年6月、岡山県高梁市に「ゆめタウン」1号店が、10月には東広島市に2号店がオープンしました。

「ゆめタウン」のコンセプトは、「アメニティとアミューズメントのある生活博物館」。祇園店での試みを発展させ、単なる売場が並ぶだけではない、人々が集まり、遊び、暮らす「街」のような空間を目指しました。そこに行けば、普段の生活のための生活用品が手に入るだけでなく、胸躍る楽しみがあったり、心が落ち着く安らぎがあったり、日々の疲れから解放される癒やしがあったりする。「ゆめタウン」とは、そのような空間でありたいと願ったのです。

東広島店では、今までのイメージを一新するソフトとハードを盛り込み、娯楽性に富んだ設備や子どもたちの遊び場、パブリックスペースなども広くとるようにしました。

物を売る以外の「付加価値」を提供する店舗

当初は、日本では類を見ない新しい店舗にしたいと、アイススケート場とプールもつくることにし、工事も進めていました。ところが、完成予想図を見ているうちに、どうも小手先の作り物ではないかという気がしてきました。じきにお客さんに飽きられるのではないか──。

「アイススケート場はやめにしようや」
「もう、すべて発注し終えて、鉄骨も組み上げているんですよ。やめられませんよ」
「アイススケート場というのは、今はええかもしれん。でも、永遠に人気があるもんやない。今のうちに中止にしよう」

こうしてアイススケート場は急遽取りやめとなり、プールも躯体は作ったものの中身は入れませんでした。それでも、ワンフロアをアミューズメント空間が占め、会員制のフィットネスクラブも常設された、新しいスタイルの店舗となりました。

こうして「ゆめタウン」は、物を売るだけにとどまらない付加価値の提供へと試行錯誤を繰り返し、中国エリアにとどまらず、九州・四国エリアへと広がっていったのです。