そうそうたる顔ぶれが集まった「ペガサスクラブ」
ついにスーパーマーケットの経営に乗り出した私は、流通や小売についてもっと深く学ぶ必要を感じ、経営コンサルタントの先駆けとして知られる渥美俊一氏主宰の「ペガサスクラブ」に参加することにしました。
このペガサスクラブは、とくにチェーンストア経営を軸にして、日本の流通分野を改革しようという趣旨で作られた、いわば勉強会のようなものです。イトーヨーカ堂の伊藤雅俊さんをはじめ、ダイエーの中内功さんやイオンの岡田卓也さん、少し遅れて入会したニトリの似鳥昭雄さんなど、今から見ればそうそうたる顔触れが揃っていました。
ただ、私は渥美門下としては、あまり出来のいい生徒ではありませんでした。あることをきっかけに、途中でペガサスクラブを辞めることになったからです。
それは、箱根で行われたクラブの合宿に参加したときのことでした。ある講義で渥美さんから「こんな厳しい時期にスーパーやりながら問屋をやり、しかもファッションビジネスまでやっているバカがいる」と指摘されたのです。名指しはしませんでしたが、明らかに私のことを指しての発言でした。
大勢の参加者の前で痛罵された私は、心の中で「こんちくしょう、何言ってやがる」と思いました。「こっちはお金を払って勉強に来ているのに、人のことをバカじゃ言うて」。そんな思いが強くありました。
ニトリの隆盛につながった「学ぶ姿勢」
それきり、私はもうペガサスクラブには顔を出さないようになりました。
ところが、やはり渥美さんの指摘は正しかったようです。3つの事業を掛け持ちしていた私は、最終的に小売業のいづみに専念することになったわけですから。
渥美門下生としては、似鳥さんが最も真面目な生徒だったでしょう。似鳥さんは、自社の経営に関する数字が頭に入っていないために、渥美さんに叱られまくったというエピソードを語っています。会話の途中でも、数字を答えられないと、渥美さんは面談を打ち切ってしまったそうです。
それでも似鳥さんはへこたれず渥美さんに食らいつき、その教えを血肉にしていきました。その姿勢は、本当に素晴らしい。それが現在のニトリの隆盛につながっているのだと思います。せっかちで先を急ぎ過ぎる私などは、いつも見習いたいと思っているのです。