個人的なことは政治的である

自己責任論のメンタリティを内面化してしまうと、「夫や姑とうまくいかない」「子どもが引きこもりになってしまった」といったことが起きても、自分だけの問題、個人で解決しなければいけない問題だと考えるようになります。だから、自らを責めるだけになってしまって、他人に自分の弱みを見せられないし、助けを求めることもできなくなります。

ただでさえ、人に弱みを見せるのは誰だってイヤなものですし、自分の弱さや惨めさを認めることはもっとつらいです。弱者や被差別者同士だって、連帯できるとは限らない。かえってお互いの細かな差異をチェックして差別し合い、つながって連帯することは難しいものです。

「個人的なことは政治的である」というフェミニズムの考えは、今でも真理です。個人の困難だと思って抱えている問題のほとんどは、社会関係のなかで生まれる問題です。「あなた一人の問題じゃないんだよ」と呼びかけることで連帯できるんです。

女性学は「社会変革」のための学問

具体的には、当事者同士の自助グループを作ることが大事ですね。リブが生まれたころは、コンシャスネスレイジング・グループと言って、女が思いの丈を言い合う場が至るところにできました。「私はこんなことを経験してるんです」って打ち明けると、「私もよ」「ああ、私もよ」って返事がかえってくると、個人だけの問題ではなくなります。どんな種類の問題でも、これが最初の原点です。

この数十年でフェミニズムとともに、自助グループが作られていく動きも広がりました。アルコール依存だって自己責任といえば自己責任ですけれども、自助グループが生まれている。自助グループにもいろいろあって、自己変革だけを目指すグループもあります。フェミニズムは自己変革と社会変革がセットでしたね。

女性学は運動と研究が一体化したものです。アクションなんです。だからこそ、「偏っている」「イデオロギー的だ」などの批判を受けてきたわけですが、これまでの学問だって、「中立・客観」の名の下に、現状維持や既得権を守ってきたジェンダーバイアスのある(男性に偏向した)学問でしょう。女性学は社会変革のための学問、闘う学問です。