優等生が襲われる不安
「自己決定・自己責任」の内面化について、私が教育の現場で個人的に体感したのは、自分を責めるしかなくなった結果、男女問わず自傷系の学生が増えたということでした。東大生は「勝者」のように見られていますが、勝者って強い不安の中にある人たちなんです。
いい成績をとってくれば、親からは「次も必ずいい成績とっておいで」と言われます。競争はずっと継続していて、つねに勝ち続けなければならない。でも次も100点をとれる保証なんてありません。「次もいい成績を」と親に言われ続けることで、子どもは不安感を強くするけれど、そんなことは他人に言わないですよね。
心理学の用語に、自分の中にある攻撃性が外に向かうことを指す、アクティング・アウトという言葉があります。反対に、自分の内側に向けることはアクティング・インといいます。アクティング・アウトは暴行や非行、犯罪などの逸脱行為です。いじめやハラスメントといった、自分の敵意や攻撃性を外側にあるターゲットに向けることです。
逆に、「自己決定・自己責任」のメンタリティにかられて、自分を責めるほかなく自傷に向かうことは、アクティング・インですよね。そして、アクティング・インの究極は自殺です。東大生の自殺率は以前から、全国の大学平均よりも高いことが知られています。優等生とは、強い不安感を持つ人たちなんです。
概念を作らなければデータをとることができない
カテゴリー化すること、つまり概念を作ることでしか事実を切り出すことはできません。そして、概念を作ることができなければ、データをとることができません。そして、データをとらなければ、社会で何が起きているのかを示すことはできません。
2000年代に入ってから、日本の貧困問題はしばしば議論されていましたが、政府は長い間貧困率の統計を出しませんでした。日本には貧困はない、と言ってね。政府が貧困率の統計を最初に出したのは、政権交代して民主党政権になってからのことですが、実際に数字が公表されると貧困率は驚くほど高かったのです。
自民党政権では、たとえば首相だった小泉純一郎は国会答弁で「言われているほどの格差はない」などと発言していて、貧困の存在を認めませんでしたし、貧困率の統計も出そうとしませんでした。統計を出さないということ自体が、政治的な操作にほかなりません。