「カテゴリーの政治」とは何か
また、カテゴリーが変われば統計も変わります。2006年に要介護認定制度が改正された際、それまで「要介護1」とされていたカテゴリーが分割され、「要介護1」とその前段階にある「要支援1&2」というカテゴリーの2つに分けられました。結果、「要介護率」の数値が下がりますが、実際のところは、従来なら「要介護」だったはずなのに、カテゴリーを操作したことで「要支援」に振り分けられた人がいたわけです。
私たちはこういう事柄を指して「カテゴリーの政治」と呼んでいます。政府が「外国人労働者」という言葉を一貫して使い、「移民」という概念を採用しないことだって、ものすごく政治的です。海外から多くの人が移り住んできてとっくに定住しているのに、移民社会になっているという現実を認めないということでしょう。本当に欺瞞的なことだと思います。
移民社会にともなうさまざまな問題はすでに起きています。技能実習生の問題が大きなものですよね。低賃金での長時間労働などが横行している。政府がお膳立てして、業界がそれを利用している。多くの実習生が逃げ出すのも当然です。しかも、政府が出した実習生の失踪に関する統計数字もまた、めちゃくちゃでしたね。
理論による説明は「現実」ではない
社会に何かが起きると社会学者がコメンテーターに呼ばれたりしますけど、そこで何の役割を果たしているかというと、社会学者は特に何の役にも立ってない。「便利な説明屋」の役割ですね。説明には上手な説明と下手な説明があるだけで、正しい説明と間違った説明があるわけではありません。
もっとも、これは経済学者も同じです。経済学は人文社会科学の中で最もサイエンティフィックだと思われています。人文社会科学の中で最も精緻なモデルを持っている経済学にいわせれば、社会学はアマチュアサイエンス、二流の科学と言われますけれど(笑)。たとえば近代経済学には、マーケットを説明するメカニズムとして非常に精緻な、数理的なモデルができあがっている。しかし、理論による説明というのは現実近似であって現実ではないんです。現実に限りなく近いと想定されるものを、現実に対応する言語で命題化するということ。ですからこれもやはり、上手な説明だけれど正しい説明というわけではありません。