※本稿は、手塚マキ『裏・読書』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の一部を再編集したものです。
天才数学者としての才能を持ちながらも、高校で数学を教えている教師の石神は、アパートの隣人で近所の弁当屋で働く花岡靖子に好意を抱いていた。ある日、靖子と娘の美里が、靖子の元夫を殺害したことに気づいた石神は、2人を守るために完全犯罪を企てる。石神の仕掛けたトリックに挑むのは、“ガリレオ”こと天才物理学者の湯川学。ガリレオシリーズ初の長編。2008年、福山雅治(湯川学)、堤真一(石神哲哉)、松雪泰子(花岡靖子)などが出演し、映画化された。
「か弱い美人」を求める男性、演じる女性
女性は美人で、けなげで、か弱いほど良い──。
こうした男性からの一方的な「理想像」はどうして生まれるのでしょうか。僕が経営しているホストクラブにも、日常生活の中で周囲から要求される「女らしさ」のプレッシャーを感じて、くたびれているという女性客の方がよくいらっしゃいます。
女性の側も、いちいち相手を正したり議論するのが面倒で、求められている役割を何となく演じてしまうこともあるようです。いちいち戦っていると、「結局消耗するのは、私」なんだとか。
「自分が守ってやらなければならない」弱い存在として女性を扱い、ヒーローを気取る男性っていませんか? そういう態度は、女性をバカにしていると思いますし、僕はあまり好きではありません。
とはいえ、「男性たちは相変わらず、古い価値観を持っているな」と一蹴して片付けてしまうのも、褒められた態度ではないと思います。女性を“下”に見る態度は「古い」のではなく、そもそも「間違って」いるのです。
読後に感じた「モヤっと」した気持ち
さて、『容疑者Xの献身』は現代日本を代表するミステリー小説です。天才物理学者、湯川学が大学の同級生で警視庁捜査1課の草薙俊平の相談を受けて、次々に難解な事件のトリックを解いていく「ガリレオシリーズ」。その中でも、もっとも人気と評価の高い作品と言えるのではないでしょうか。
2005年に刊行されると、ほぼすべての選考委員からトップ評価を勝ち取って直木賞を受賞。福山雅治さんが主演となって映画化もされました。海外からの評価も高く、アメリカのミステリー界で権威のあるエドガー賞の候補にもなりました。
ここまで世界を虜にした驚愕のトリック。「素晴らしい」「圧倒的」と絶賛する人々に反して僕はどこかモヤっとした気持ちをぬぐいきれませんでした。
僕自身も東野圭吾さんが生み出してきた数々のトリックの大ファンだからこそ、この作品を通して読者が受け止める「男女観」についてきちんと立ち止まって考えてみたい。そう思ったんです。