「彼女を守らねば」から生まれた完璧なトリック

物語は、湯川の大学時代の友人で高校の数学教師、石神を中心に進んでいきます。

東野圭吾『容疑者Xの献身』(文藝春秋)

石神は、数学を愛していて、これといった交友関係も趣味もない地味な生活を送る中年の独身男。アパートの隣人で、近所のお弁当屋で働いている靖子にひそかな恋心を抱いています。

事件は、靖子のところに、金の無心をするために元夫が訪ねてくるところからはじまります。ギャンブルや暴力が原因で離婚した靖子ですが、元夫はしつこく靖子を付け回し、この日は家まであがりこんできてしまいました。口論の末、元夫から「おまえは俺から逃げられないんだ」と言われ、靖子は娘の美里の手を借りて、元夫を殺害してしまいます。

殺人の事実を知ったのは隣人だった石神です。パニックになる靖子と美里から状況を聞くと「自分が守らねばならない」と使命感を心に燃やします。

石神は靖子たちが罪逃れできるように、状況を整理し、天才的なトリックを考えます。整合性のとれたシナリオを作り上げ、淡々と実行に移していきます。

靖子はシングルマザーとして美里を育てています。この“か弱き”2人の女性の未来を守るために、自分の手を汚すことすら厭(いと)わない石神。彼の考えたトリックは、何度思い返しても背筋がゾッとしてしまうくらい大胆不敵でほぼ完璧でしたが、湯川というもう1人の天才の前に、事実がだんだんと明るみになっていきます。

助けたのは「靖子のため」ではなく「靖子を愛した自分のため」

靖子は、石神がどんなトリックを仕掛けたのか、終盤まで知らされてはいませんでした。ただ、石神の言う通りに振る舞い、彼のシナリオの最重要人物として、与えられた「役」をこなします。当事者であるはずが、単なるマリオネットになっています。

さて、この物語のタイトルは『容疑者Xの献身』ですが、石神の行動は本当に「献身」なのでしょうか。試しに「献身」という言葉を辞書でひいてみると、《自分の身をささげて尽くすこと。ある物事や人のために、自分を犠牲にして力を尽くすこと(大辞林)》とあります。

なるほど。靖子の人生を守るために、石神は自分の身をささげて尽くしたように見えます。しかしこれって本当に靖子の「ため」になっているでしょうか。靖子のため、と言えるほど、靖子を一人の人間としてリスペクトし、「尽くして」いるでしょうか。

僕は、全然そうは思えませんでした。

僕の目からは、石神が靖子を心の底から愛しているように思えませんでした。むしろ、靖子たちを「守る」という使命感によって、自分自身に「陶酔」しているように見えました。「俺は束縛なんてしないよ」「俺はあなたが笑顔で幸せに生きてくれているだけでいいよ」という、一方的な美徳の押し付けですよね。

ちょっと考えてみてほしいのですが、靖子は自分をかばってくれた人の犠牲の上で、のうのうと生きていけるほど単純な人なのでしょうか。もし本当に石神が靖子をそんなのんきな女性だと思っていたなら、やっぱり完全に、彼女を見下していますよね。