いま70歳の上野千鶴子さんは、性差別に怒り、女性学という学問を作った社会学者だ。今年の東京大学入学式では、その半生を踏まえたスピーチを行い、大きな反響を呼んだ。上野さんは「若い人たちに『こんな世の中に誰がした?』と詰め寄られたら、言い訳できない。だが『闘って社会を変える』という態度は、次の世代に伝えたい」という――。

※本稿は、上野千鶴子・雨宮処凛著『世代の痛み――団塊ジュニアから団塊への質問状』(中公新書ラクレ)の一部を、抜粋・再編集したものです。

「いい目にあいやがって」と非難されるけど

思えば40数年前、「こんな世の中に誰がした?」と親世代に詰め寄ったのは、団塊世代だった。その当時の年齢の倍どころか、3倍になるまで生きて、今になって子どもの年齢の世代から「こんな世の中に誰がした?」と詰め寄られたら、言い訳できない立場にいる。

(撮影=中央公論新社写真部)

どんな時代も過渡期で、どんな時代も閉塞感にあふれていて、どんな時代もろくでもないが、団塊世代はそのなかでも成長の果実をかすめとって、自分だけいい目にあいやがって、と非難される。

だが、どんな時代に生まれるかは、世代の責任ではない。日本近代でいちばんワリを食ったのは、第二次世界大戦中に青春時代を過ごした戦中派の世代だろう。自分たちの寿命が20歳までしかない、と思いながら育った世代だ。それだって彼らの責任ではない。

いちばんワリのよかったのが、戦後高度成長の波に乗った、現在70代後半から80代の人たち。軍国少年・少女や疎開学童だったかもしれないけれど、戦争には行かずにすみ、社会に出てからは、土木、建設、機械、部品、メーカー……何をやっても当たったし、後続の人口圧に押し上げられて管理職にもかんたんになれた。現在は史上最高額の年金を受け取っているはずだ。

「時間がたてば今より悪くなる」という悲観

団塊世代はその次の世代。社会人になったのは、高度成長の末期。オイルショックに遭遇して、「大学は出たけれど……」と辛酸をなめ、昇進するころには人口構成が変化していて、部下のいない名ばかり管理職が待ち受けていた。

だが、世代のDNAとはおそろしい。経済成長期に青年期を過ごした団塊世代には、「時間がたてば今よりよくなる」という根拠のない楽観があるように思えてならない。反対に、生まれた時にはすでに3Cことカー、クーラー、カラーテレビに取り囲まれていた「豊かな社会」に産み落とされた団塊ジュニアの世代は、親の世代の価値観を引き継いだまま、バブル崩壊後の長引く不況のもとに投げ出された。この景気低迷期に青年期を過ごした世代には、「時間がたてば今より悪くなる」という悲観がねづよく埋め込まれているような気がする。

世代間格差ばかりでなく、団塊世代にも世代内格差はある。学歴間格差、企業間格差、職業格差、階級格差……二重労働市場と言われる構造のもとで、大企業正規職と系列下請け企業の臨時工とは、身分格差といってよいほど、人生コースが違っていた。日本型雇用といわれる大企業正規雇用者になったのは労働人口の2割に満たない。中卒者の貧困を、「格差」の名で問題にする人はいなかった。

そして社会はもっとむきだしに野蛮だった。国家はもっと強権的で、政治はカネまみれで、反対闘争は暴力的で、機動隊は横暴で、公安は陰険で、差別はもっとあからさまで、学内暴力や体罰も壮絶だった。