「そこそこのものを、そこそこの価格」では満足できない
新年が明けた。アフターコロナを経て、正月をはじめハレの日に「自宅で最高級の体験をしたい」という家食(ウチショク)充実派が完全に定着して久しい。
帝国データバンクが発表した「2026年正月シーズンおせち料理価格調査」によると、おせちの平均価格は2万9098円。前年比で約3.8%(1054円)の上昇だという。しかし、この「平均値」を鵜呑みにしてはいけない。現場で起きているのは、なだらかな正規分布ではなく、中央がごっそりと抜け落ちた「極端な二極化」だからだ。
「コスパ重視(価格据え置き・値下げ)」と「超高級化」。この年末、おせち商戦で起きている現象は、現代日本の消費構造の縮図そのものである。私たちは今、「そこそこのものを、そこそこの価格で」買うことにもはや興味を示さなくなっている。
なぜか。それは現代人が「失敗」を極端に恐れているからだ。中途半端なものを買って後悔するくらいなら、極限まで安く済ませて実利を取るか、絶対に失敗しない「権威」に大金を払うか。そのどちらかしか選べなくなっているのだ。
「100円おせち」を買うのは貧困層ではない
まず、極端な「実利」の象徴を見てみよう。ローソンストア100が展開する「100円おせち」だ。累計1950万食を突破したこのモンスター商品は、2026年正月用にも43種類を展開する。かまぼこ、伊達巻、黒豆、栗きんとん。これらがすべて小分けパックになり、1個108円(税込)から買える。
これを「デフレの象徴」や「貧しさの現れ」と捉えるのは、マーケティング上の解像度が低すぎる。主な購入層には、単身者や高齢者だけでなく、タワーマンションに住むようなニューリッチ層の主婦や、合理性を重んじるZ世代・ミレニアル世代が多分に含まれているからだ。
彼らが「100円おせち」を選ぶ理由は、金銭的な制約ではない。「自由」への渇望だ。
「セット済みの重箱を買うと、誰も食べない具材が必ず残る」
「自分の好きなものだけを、好きな量だけ食べたい」
「インスタ映えするワンプレートおせちを作りたい」
こうしたニーズに対し、従来の数万円する重箱おせちはあまりに不自由だった。ローソンストア100は、オフシーズンの工場を稼働させるなどの徹底した企業努力でコストを下げつつ、「おせちのパーツ化」というイノベーションを起こしたのだ。2026年向けには、新たに300円、400円の価格帯で「かに爪白だし仕立て」や「数の子入りうにいか」などの高級食材も投入するという。これはもはや「節約」ではない。自分の価値観で正月を編集する「賢い消費」の極致なのだ。


