団塊ジュニアが「政治を『禁止』された」と思うワケ
団塊世代と団塊ジュニアの何が違うか、と言えば、闘えば世の中は変えられる、と団塊世代が思えたことだろうか。72年の連合赤軍事件でたしかに新左翼運動は壊滅的打撃を受けたが、学生運動をやってきた者たちのスピリットやノウハウはなくなったわけではない。事実、団塊世代の学生運動経験者は、その後各地に散っていって住民運動や市民運動の担い手になった。
全共闘世代はブル転(ブルジョワ転向)したと言われるが、わたしの知る限り、当時の仲間たちはその後も草の根で運動を続けている。女たちもそうだ。リブやフェミニズムに参加した女もいるし、無業の主婦になった女たちも、食品安全や環境保護の闘いで小さな勝利を収めてきた。
だがそれから40年、団塊ジュニアが40代に入ろうという頃まで、この運動のDNAは受け継がれることがなかった。わたしはそれを「政治的シニシズム(冷笑的態度)」のせい、と考えてきたが、団塊ジュニアの雨宮処凛さんはそれを政治を「禁止」されたから、という。なるほど親世代のシニシズムは、子どもにとっては「禁止」と映るだろう。
口先では「好きなように生きて」と言うが…
世代間格差がいろいろあるなかで、団塊世代と団塊ジュニアとの大きな格差のひとつは、この「希望格差」かもしれない。未来が今よりよくなる、その気になれば変えられる、という「希望」を持つことができる世代とそうでない世代とでは、大きな格差が生まれるだろう。
90年代に宮崎アニメやサブカルのなかに漂うねぶかい終末観に気づいて、若者たちにこんな「未来のない」世界観しか与えることができなかったのか、とわたしは愕然としたものだ。
団塊世代にとっては逃れるべき抑圧、闘うべき敵ははっきりしていたが、選択肢が多様化したように見えてその実、不自由な選択肢しか与えられていない団塊ジュニアは、「自由」の前で足がすくんだかもしれない。団塊世代は「家族帝国主義粉砕!」を叫んだが、今となってはそれは対決すべき敵となるほど家族が強固だったからかもしれない。
その団塊世代が作りあげた家族が、何のモデルとなることもできず、親は息子や娘たちに「好きなように生きていいんだよ」と口先では言うが、その実、子どもたちは親に背こうにも、寛容という名の抑圧に抗するには、どうしてよいかわからないのかもしれない。他方で学歴偏差値社会の呪縛は強化されており、親が口に出そうが出すまいが、その期待から降りることなど、子どもたちにはできなかったのかもしれない。