働く時間が「1日3時間」でも何不自由なく暮らせる
プロフェッショナルとは、神にプロフェス(宣誓)する職業で、クライアントの利害に左右されず、適切な「問い」を立て、ベストな解を追求するものである。商売であればクライアントの意向や立場に沿って報酬は上下するし、クライアントとの知識の差を使って儲けをふくらませることもできてしまうが、そのようなことはしない。神が(一応)見ている(という前提がある)からである。当時のコンサルタントはそういう矜持を持っていた。私はそれが好きだった。
30歳前後で会社を離れ、起業、事業売却を経て40代となった今の私は、コンサルタントに加え、投資家、事業家、著述家、研究者、教育者など色々な顔を持ち、宇宙開発から劇団経営まで、出資する十数社に関わっている。そのため、分刻みでバリバリ働いているのかと思う人もいるだろうが、そんなことは全くない。むしろその逆だ。
普段の私は日々の考えごとをしているか、寝ているか、人と会っているかのどれかである。本を読むことも少ないし、テレビや新聞も見ない。ひたすらただ概念の海の中に意識を泳がせ続け、意識が捕まえる一つひとつの情報を有機化する作業を続けている。そしてそれは数年経つと発酵して本や事業といった形となる。そして働く時間は1日あたり3時間と決めている。それでも毎日不自由なく暮らしていることを考えると、考えることがいかにコスパの高い行為かということを感じてもらえると思う。
AIに計算はできても「思考」はできない
「AIが台頭すれば、考えるだけではやっていけないのではないか」などと、AIを脅威に感じる人も多いだろうが、それは問題にはならないと思っている。
AIは計算は行うことはできるが、思考はしないからだ。
思考とは意識的な作業であり、意識は次元を超えて漂う。何かアイデアを考えるときも、人間であれば次元の異なるものを組み合わせることができる。一方、AIは同次元で平面上の計算を膨大に行うが、次元は超えられない。そこが人間と決定的に違う。
たしかに効率化や画一化などの20世紀的な課題に対してならAIは強いだろう。