「自民1強」での驕りと緩み

2012年問題について読売社説は「極めて深刻な事態である」と嘆く。まさにその通りだ。

この2012年問題が生じた理由を「12年衆院選挙当時は野党で、現職議員が少なかった自民党は、大量の新人を擁立した。その多くは、民主党政権の度重なる失政を『追い風』に楽々と当選した」「14年衆院選でも、安倍内閣の高い支持率に支えられ、再選を果たす幸運に恵まれた」と説明し、「今になって、自民党の『1強』下の驕りや緩みと相まって、ツケが回ったと言っても過言ではあるまい」とまで書く。

週刊誌やインターネット上で「安倍政権の御用新聞」と批判され続け、読売新聞の読者からも同様の批判が多く寄せられた、と筆者も聞いている。

正しいジャーナリズムに変わる兆候か

ジャーナリズム論を教えている知人の大学教授は「安倍政権擁護を反省しての社説の言葉なのだろう。読売社説も批判精神を持った正しいジャーナリズムに変わる兆候だ」と話す。

しかしながら、それはこの先の読売社説を少なくとも1年は読み続けなければ分からない。

その証拠に今回の読売社説は最後に「執行部は、現状を放置すべきではない。目に見える形で若手の研修に取り組み、緊張感を持たせる努力をしなければ、不祥事の連鎖は断ち切れまい」と主張する。

これは裏を返せば、自民党にとって足枷となる国会議員を離党させ、自民党に利する国会議員を育て、1党独裁であっても驕りや緩みをはねつける力を付けるための叱咤激励とも受け取れる。つまり読売はどこまでも安倍政権の御用新聞なのかもしれない。

いまの公務員は公平、中立か

6月25日(日)付の朝日社説と同日付の東京新聞は分かりやすく、書き手の思いが伝わってくる。

朝日社説の見出しは「憲法70年」「公務員はだれのために」である。見た瞬間、何のことかわかりにくい点もあるが、本文を読み出すと、なるほどとうなずける。

書き出しは「公務員はだれのために働いているのか。そう嘆かざるを得ないできごとが相次いでいる」。続いて「森友学園への国有地売却で、財務省が異例の対応をして実態を示す資料が次々と明らかになった」「加計学園の獣医学部新設計画では、内閣府が『総理のご意向』だとして文部科学省に手続きを促していたとする内部文書が判明した」と書く。そして「公平、中立であるべき公務員の姿が大きく揺らいでいる」と強調する。

この後、いきなり明治憲法と新憲法を持ち、こう続く。

「明治憲法下における『天皇の官吏』は、新憲法のもとで、主権者である国民のために働く公務員へと大きく転換した」「憲法15条が『すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない』と定めるのは、その宣言である」

「元凶」は2014年の内閣人事局

さらに朝日社説は「戦後70年余、多くの官僚の働きが日本を支えてきたことは確かだ。だが、官僚機構が総体として『全体の奉仕者』の使命を果たしてきたかといえば、必ずしもそうとは言えない」「戦前の官僚主導の行政機構は戦後も温存された。占領当局が日本統治にあたり、国内事情を熟知する官僚に依存したこと、多くの政治家が公職追放を受けたことなどが背景にある」「官僚が族議員の力を借り、省益や業界益の実現を図る。そんな政官のもちつもたれつの関係が成立した時代もあった」と官僚と政治家の歴的な関係を具体的に説明する。

現代の問題に至る道筋について「政官の癒着やタテ割り行政のひずみが広がり、経済成長の鈍化も加わって、政治主導によるトップダウンの政策決定がめざされるようになった。安倍政権が2014年に内閣人事局を設置したのも、1980年代末からの一連の政治改革の延長線上にある」と元凶になっている「内閣人事局」を挙げる。