コンテスト賞金の150万円で起業

【田原】矢野さんとの出会いが仕事になったって、どういうことですか。

田原総一朗
1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所入社。東京12チャンネル(現テレビ東京)を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。本連載を収録した『起業家のように考える。』(小社刊)ほか、『日本の戦争』など著書多数。

【矢島】東京都の学生起業家選手権というビジネスコンテストに応募したときに、赤ちゃんの産着を本藍染で染めていただきました。

【田原】ビジネスコンテスト? ここでジャーナリストじゃなくて起業家に転身するわけですか。

【矢島】ジャーナリストは伝えるお仕事ですよね。私が考えたのは、次世代に日本の伝統を伝えてつなぐこと。とくに伝えたい相手は、赤ちゃんや子どもたちです。日本の伝統や文化が、いま危機を迎えているのは、若い人が好きか嫌いか以前に、そもそも伝統について知らないからです。幼いときから知っていれば現状のようにはならなかった。だからこそ子どもたちに伝える必要がありますが、小さな子どもたちに文字や言葉で伝えるのは限界があります。ならば、実際にモノに触れてもらって伝えたほうがいい。それで赤ちゃんの日用品を伝統産業の技術でつくって伝えるというプランをコンテストに出しました。私にとっては、ジャーナリストの仕事だと思っています。

【田原】コンテストの結果はどうだったのですか。

【矢島】優秀賞をいただきました。賞金は150万円。起業家を支援するコンテストなので、受賞を機に「和える」という会社を立ち上げました。2011年3月16日、大学4年生のときです。

【田原】「和える」は斬新な社名だ。

【矢島】20歳のころよくお話していた方から、「自分が人生でずっと温めてきた、『和える』という名前を、里佳ちゃんに贈りたい。」と名前を頂戴しました。その方は会社やブランドの名前に使ってねとはおっしゃいませんでしたが、会社をつくったときに、ああ、「和える」がいいなと。

【田原】会社を立ち上げたのに大学院に進学しますね。これはどうして?

【矢島】政策メディア研究科の社会イノベータコースに、地域創成やファミリービジネス、それに個益公益などを学べるコースがありました。担当教授の飯盛義徳先生とお話ししたとき、「矢島さんに向いていそう」と言われ、確かにおもしろそうだと思いましたし、飯盛先生のお人柄も素晴らしく、ぜひ学んでみたいと思いました。

0歳から6歳の伝統ブランド

【田原】「和える」では何をつくって売っているのですか。

【矢島】「0から6歳の伝統ブランドaeru」は、赤ちゃん、子どものときから使える日用品を職人さんと共に作って販売しています。先ほどお話ししたように、この時期に日本の伝統や文化に触れてもう事には大きな意味があります。また、大人向けの伝統産業品はあるのに、幼少期から使える商品は圧倒的に少ない。それで年齢層を絞りました。

【田原】具体的にどんな商品が?

【矢島】たとえば「こぼしにくい器」という、子どもが自分で食べることを応援する器のシリーズがあります。普通の器だと、赤ちゃんや子どもがスプーンですくおうとしたときに外にこぼれがちですが、この器は、中に返しがあってすくいやすくなっています。山中漆器や津軽焼、大谷焼、先ほどお話しした大西さんの砥部焼があります。

【田原】漆器はわかります。でも、陶磁器はどうかな。赤ちゃんが落として割れてしまいませんか。

【矢島】それも想定しています。割れることを知るのも子どもたちにとってはお勉強です。もちろん割れたら終わりではなく、金継ぎや銀継ぎという手法でお直しもさせていただいております。そうやって長く大切に使っていけるということも、知っていただきたいと思っています。