07年の山口銀行を皮切りに、横浜銀行、西日本シティ銀行、池田泉州銀行と合弁で証券会社をつくっていくなかでも、「讓一歩爲高」が自然に出た。合弁相手は、競合を避けるために証券子会社を持たない銀行に絞り、自社の支店は廃止し、その陣容を合弁会社へ移籍する。社長は銀行側から出してもらい、東海東京からは副社長以下にとどめる。
城を明け渡し、経営権を渡しても、未開拓の市場で、東海東京が手がける外国の株式や債券なども扱ってもらえばいい。銀行が持つ顧客層に接し、合弁会社の業績が伸びれば、双方にとってプラス。いま、4つの合弁会社のお客からの預かり資産は1兆円を超え、東海東京の連結決算に反映される収益は、経常利益の2割になる。多くの地域で、自力では、短期間にそんな成果は出せない。根底に、そうした冷静な判断がある。向こう2年間に、もう二つくらい交渉をまとめるつもりだが、それには「讓一歩爲高」は崩せない。
打ち始めた将来への布石にも、同じ構えで臨む。もはや、旧来の経営では限界があり、新たな像を描いた。大手の証券や銀行とは違う独自性が必要で、地方の銀行との合弁だけでなく、ネット銀行や資産運用会社、中小証券なども参加できるプラットホームを築きたい。多様な機能を持ち、お客を紹介し合い、互いにメリットを手にする。無論、「上から目線」はタブー。それが、基本像だ。
ここにも、「自力だけで業務を拡大していくには、無理がある」との判断がある。力を合わせる相手に、常に「低く」出る姿勢が、それを支えている。
1946年、北海道生まれ。68年小樽商科大学商学部卒業、東海銀行(現・三菱東京UFJ銀行)入行。92年欧州東海銀行頭取、94年取締役、96常務。98年東海投信投資顧問社長。04年東海東京証券入社、副社長を経て、05年社長。09年社名変更により現職。