リスクの管理に自らシチーへ赴任
1992年4月、ロンドンに赴任する。東海銀行(現・三菱東京UFJ銀行)の欧州拠点だった欧州東海銀行の頭取に、46歳で就任した。国際金融街シチーで働くのは、20代で経験した海外研修以来、約20年ぶりだ。
着任すると、すぐ、裁定取引のチームと債券取引チームの担当者から、実情を聴く。裁定取引は、現物と先物の金利差や価格差を利用して差益を狙うが、大きな差損も出る。聴取が終わると、今度はリスク管理を受け持つ日本人に、「俺は、いったいいくらまで、リスクを覚悟すればいいのか」と尋ねた。部下は怪訝な顔をした。そんなことを質問した上司は、それまでいなかったのだろう。
実は、市場取引の経験が、全くなかった。素人が生半可の知識で口を出すことこそが、最大のリスク。そこは、プロと信じる人間に任せ、きちんと報告してもらうしかない。また、わからないことは率直に「教えてほしい」と頼む。上から威圧的に接すると、本当のことを言わなくなりがちだ。それもまた、大きなリスク。現地の最高責任者として、日本の親会社に累を及ぼすわけにはいかない。相手が部下であっても、「低く」出ることなど、何でもない。
ロンドンの拠点は、それまで証券業務の現地法人で、日本企業が海外で発行する新株引受権付き社債(ワラント債)を手がけ、高収益を上げた。だが、バブルの崩壊で、そんな証券発行は影をひそめ、赤字に陥った。日本の国際本部にいて、どう対応すべきかを考えていたら、大蔵省(現・財務省)から「都市銀行や大手証券につくらせた国際金融の銀行の役割が終わったので、どこかに買い取ってほしい」との話が回ってきた。